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旭化成100周年の年に「とても感慨深い」−野口遵記念館

本紙掲載日:2022-12-19
3面

延岡市出身・工藤幸四郎社長インタビュー

 延岡市東本小路の「野口遵記念館」開館式典が行われた18日、同市出身の工藤幸四郎旭化成社長は取材に応じ、「旭化成グループが100周年を迎えた年に、開館したことはとても感慨深い」と記念館の門出を喜んだ。また自身の幼少期、当時の野口記念館の記憶にも触れながら「非常に親しみのあるこの場所が今後も市民の憩いの場、発信の場として十分利用されることを願うばかり」と思いを語った。

一問一答は次の通り。

◆私自身も親しみのある場所−市民の憩いの場、発信の場に

−−開館を迎えての心境は。

本日、野口遵記念館の開館式典が盛大に執り行われたことは私ども旭化成グループにとっても非常に喜ばしいことでございます。
1954年に、当時の片岡武修社長から野口記念館を造り、寄贈するという話をさせていただいたことがスタートでした。今年度、旭化成グループが100周年を迎えたこの年に野口遵記念館が開館したことはとても感慨深いものがあります。
私自身も延岡出身ということもあって、非常に親しみのあるこの場所が今後も市民の憩いの場、発信の場として十分利用されることを願うばかりです。
立派な箱ができましたので、これからコンテンツをどれだけ充実させていくかが極めて重要だと思います。延岡市と協力させていただき、微力ではございますが、旭化成として何ができるか考えていきたいと考えています。

−−具体的な今後のアイデアは。

地方がどう力強く前に進んでいくかが重要であり、そのための肝の一つが人材だと思っています。野口遵記念館のみならず、さまざまな場を利用して延岡の若い人たちが成長していくために旭化成が資することができればこの上ない喜びです。
せっかくこのような立派な建物ができたので、これからさらに何ができるか考えていきたいと思います。地方では著名な方々がお越しになられることはなかなか難しいですが、私どもでお声掛けして延岡にお迎えできれば。

−−ホールで(開館祝賀公演の)第九を実際に聞いた感想は。

合唱する皆さんの表情を見ていて、皆さんの音楽に懸ける熱い思いや力を感じられました。地方の皆さんの熱いメッセージのようにも聞こえました。途中で図らずも目頭が熱くなるような感じがして、やはり地元はいいなと。このような機会が多くあればと思っています。

◇野口記念館は憧れの場

−−野口記念館での具体的な思い出は。

幼い頃からなじみのあった建物で、憧れの場、楽しい場、演奏する場、演劇を見る場でした。小中学校時代、東京からデューク・エイセスやボニージャックスなどがよく来ていて、都会から来る人の音楽をあこがれの的のように感じながら聞き入っていた記憶があります。
夢と言ったら大げさかもしれませんが、野口遵記念館も聞く方、見る方が夢を描けるような、心が躍るような場所になればと思います。

−−野口遵は自身にとってどういった存在か。

創業100周年を迎え、社内外から次の100年に向かってというフレーズがよく聞かれることが多いですが、遵翁が創業した時は、100年企業をつくろうとした訳ではないと思っています。何をすれば社会のためになるか、貢献するために事業家として目の前のことに一歩一歩前に進もうとされていたと思います。
われわれも100年の歴史をしっかり胸に刻んで次の一歩をどうやって力強く踏み出すかが大切だと感じており、遵翁は私にとって尊敬すべきフロンティアだと思っています。
新しい中期経営計画を発表した際、フレーズとして「BeaTrailblazer(ビー・ア・トレイルブレイザー」という言葉をつくりました。「先駆者たれ」という意味があり、100周年を迎えた旭化成にとってその言葉がまさにふさわしいと。実は遵翁のことが頭にあって、次の一歩を踏み出すという意味合いも込めています。

◇延岡から羽ばたき延岡に貢献できる人材に

−−延岡の若者に向けてメッセージを。

私が幼い時、羽ばたきたいという思いが強くありました。教育現場では夢を持ちなさい、好きなことをやりなさいと言われていましたが、なかなかそこまで行き着かずとにかく羽ばたきたい、早く社会の役に立ちたいと。
今の子どもたちには一足飛びに夢や好きなことを見つけるよりも、自分の良さや特徴を見つめ直して一歩二歩進んでいく中で、仕事の喜び、人生の喜びを見つけ出してほしいですね。
延岡の地から羽ばたいて、延岡の地に貢献できるような人材に育っていってもらえれば素晴らしいと思います。

−−中断している新入社員研修の再開は。

可能であれば一日も早く研修を延岡で再開したいですが、残念ながら今の状態ですと来年4月も厳しいと思います。
延岡で研修があるからこそ、旭化成を思う心を忘れず、送り出す延岡の現場の先輩方が、各社員の長く働く力になっています。幸いなことに旭化成グループのエンゲージメントは極めて高いレベルにあり、延岡の研修がその一助となっていると思っています。

−−工藤社長にとって延岡とは。

延岡は旭化成と一緒になって発展してきた存在だと思います。延岡の工場群には、化学系、メディカル系などさまざまな事業群があるという特長があります。何か新しいことをしたいという時、一緒になって成長してきたという歴史から、延岡市民の皆さんから歓迎の意思がひしひしと伝わってくる感じがします。
延岡の中でも非常に厳しい環境に直面している事業もあります。撤収や売却をしなくてはならない場合もあるかもしれません。しかし、新しい旭化成が成長するためどういう技術を培っていくかということを考えた際、工場建設の場が延岡であるということになると思います。
延岡も旭化成も変革しながら、引き続き大事なパートナーとして成長していければと考えています。
また、(2020年の)マイクロシステムの半導体工場と(今年4月の)ベンベルグ工場の火災では地域の皆さん、関係先の皆さんにご迷惑をおかけしました。この場を借りておわび申し上げます。
マイクロシステムの工場では新しい材料を同じ場所で造ることができないか真剣に検討しています。また、ベンベルグ工場は、火災の影響が少なかった場所で、生産量は少し落ちますが、ベンベルグを愛していただいている世界中の方々の期待に応えられるよう、安全にスタートしていきたいと思います。

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