夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。
スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?
写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。
写真のサイズと料金は次の通りです。
▽L サイズ 1枚 300円
▽LL サイズ 1枚 500円
▽A4 サイズ 1枚 1,200円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は500円追加) |
L サイズ
(8.9×12.7センチ) |
1枚 300円 |
LL サイズ
(12.7×17.8センチ) |
1枚 500円 |
A4 サイズ
(21×29.8センチ) |
1枚 1,200円
(ラミネート加工は300円追加) |
|
提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。
受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。
写真は個人的利用に限ります。
印刷物などに用いることはできません。
写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。
お問い合わせ、お申し込みは
本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。
|
◆第7回高森文夫を偲ぶ詩大会
一席に四角目さん(財光寺小6)
「第7回高森文夫を偲(しの)ぶ詩大会」の表彰式が19日、日向市東郷町の若山牧水記念文学館であり、一席に選ばれた四角目侑海さん(財光寺小6年)ら入賞者16人が表彰を受けた。主催は同文学館と日向若山牧水顕彰会。
大会は、市内の小学4〜6年生を対象に募集しており、今年は過去最多の10校から526作品の応募があった。一席1編、二席2編、三席3編、佳作10編の計16編を入賞作に選んだ。
表彰式で大会会長の那須文美日向若山牧水顕彰会会長が、回を追うごとに応募数が増えていることを紹介。「自分で書くこと、考えることを一つの喜びに感じてほしい。表彰を今後の人生に生かしてほしい」とあいさつ。
来賓の今村卓也教育長は「五百数作品の中から選ばれた皆さんは、感動したり自然と話したりすることが優れている。その力を磨き続けてほしい」と呼び掛けた。
表彰では、那須会長が出席した児童一人一人に表彰状を授与。一席の四角目さんが両親や時代、環境に関する感謝を込めた作品「奇跡」を発表した。
選者の二見順雄さん(元小学校校長)は、受賞者全員に対して「表現力、助詞の使い方、想像力が素晴らしかった」などと講評した。
大会の結果は次の通り。
▽一席=四角目侑海(財光寺6)
▽二席=サイードアシャブ(財光寺6)世見優月(同)
▽三席=浅田未羽(財光寺南6)椎葉悠斗(塩見6)奈須絢音(同)
▽佳作=田中悠暉(財光寺南5)鈴木才喬(財光寺5)黒木莉奈(同6)児玉夏埼(同)寺原淳平(東郷学園5)鈴木那奈(日知屋東4)甲斐千尋(同5)石川友梨(同)佐藤和香(同6)山本結依(大王谷学園6)
◆詩碑祭を初開催−第1回高森文夫詩碑祭
「業績を広く知らせたい」
第1回高森文夫詩碑祭が19日、日向市東郷町の「道の駅とうごう」の同詩碑前であった。主催する高森文夫顕彰会や関係者、市民ら約100人が参加して、郷土の詩人をしのんだ。
詩碑は昨年1月20日、高森文夫の誕生日に合わせて除幕。同所には、代表作「冬薔薇(ふゆそうび)」とプロフィルの刻まれた碑が建立されている。
詩碑祭では、高森文夫を偲ぶ詩大会で一席に輝いた四角目侑海さん(財光寺小6)と二席を受賞したサイード・アシャブさん(同)が献花した。
主催者あいさつに立った小林理教会長は、高森氏が自身の詩業について語らなかったため業績が周知されていなかったことなどを紹介。「(顕彰会では)詩人の方々を講師として招いて学習した。詩碑祭として開催し、将来につなぐための第一歩としたい」と述べた。
来賓による祝辞後、高森氏が校歌を作詞した県内16の学校の一つである、東郷学園の5年生7人が登場し、校歌を元気いっぱいに歌った。
また、同市のコーラスグループ「ヒュウガン・ヴォイセス」の3人が、高森氏の詩集「昨日の空」より「惜春」などを披露した。
高森氏は1910年、東郷村(現日向市東郷町)生まれ。旧制延岡中、成城高校、東京大学仏文学科を卒業。延岡市や東郷町の教育長、東郷町長などを歴任。文学では37年に第1詩集「浚渫(しゅんせつ)船」を出版し、中原中也賞を受賞した。
また、東郷小学校(現東郷学園)や坪谷小、富島高校、日向高校など県内16校の校歌を作詞し、現代も歌い継がれている。叙情派として高い評価を受けるも、自身が詩業を語らなかったこともあり、業績はあまり知られていない。98年6月2日、88歳で死去。