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歴史眠るまち、子育て拠点へ

本紙掲載日:2020-07-29
6面

延岡市松山町−高千穂通

 市役所や市立図書館などがある延岡市の中心市街地から、五ケ瀬川を挟んだ北側。西は松山町、東は高千穂通までの広い範囲を記者が訪ねた。

 約600年前に築かれ、約130年にわたって領主土持氏の居城として機能した松尾城(松山町)が置かれた地域で、周辺にはさまざまな歴史が眠る。

 地域の人たちに親しまれている場所、地域に住む子どもたちが通う学校など、主な場所を紹介する。


◆岡富小110年の歴史−雨情作詞の校歌、徐福伝説…(高千穂通)

 今年で創立110周年を迎えるのが、高千穂通にある岡富小学校。

 1910年10月10日、組合立延岡女子尋常高等小学校から分立し、岡富尋常高等小学校として本小路で開校。25年に現在地に移転。町村合併や国民学校時代を経て、47年、戦後の学制改革で延岡市立岡富小学校と改称した。翌年には、児童数の激増で中川原旭小学校(現在の旭小学校)を分立し、約900人の児童を移した。

 32年に落成した講堂は、木造の吹き抜け2階建て。大講堂で、県内でも珍しかったという。45年6月29日の延岡大空襲で市役所が全焼すると、講堂は市役所の仮庁舎として47年12月まで使われた。50年からは市中央公民館として借り上げられ、さまざまな文化活動に使われた。

 「五ケ瀬の川の川水にすむ月影はやどるらんいく春秋を今山の花に緑にすごしきぬ」という歌詞の校歌は、「七つの子」などで有名な野口雨情が作詞し、延岡市出身で、宮崎県初の声楽家・権藤円立が作曲したもので、32年に制定された。現在も歌い継がれている。

 また、同校は、古くは蓬山(ほうらいざん)と呼ばれた今山の麓に位置する。紀元前219年、秦の始皇帝から「蓬山にあるという不老不死の薬を取ってこい」と命を受けた徐福がたどり着き、船をつないだ4畳大の岩が、敷地内に埋まっているという伝説がある。

 戦前の多い時には、1学年で300人を超えていた時期もあったが、現在は401人の児童が通う。



◆新興住宅地に旭中−レーヨン工場と深い縁(富美山町)

 富美山町の旭中学校は、1955年4月、岡富中学校(本小路)の旭分校として発足した。岡富中学校内に仮校舎を置いてスタートした。

 当時の岡富中は旭小、岡富小、延岡小の3校の卒業生が集うマンモス校。そこで分校が必要となった。翌年4月に設立が許可され、6月30日、現在の場所に移転した。第1回の卒業生たちは、机と椅子を自分たちで持ち、山を越えて運んだという。

 校区内には、従業員数が最大で6000人を超えた旭化成のレーヨン工場があった。開学当初は施設・設備が十分に整っていなかったため、柔道や剣道部の部員たちは、工場内の道場に通い、旭化成OBや寮生に鍛えてもらったという。水泳の授業も工場内のプールを借りて実施。学校にプールが完成した89年まで続いた。

 「運動会前には、旭化成のトラックが土を運んでくれていた」という開学から数年後のエピソードも、同社との強い結びつきを表している。

 また、進学への取り組みも熱心で、県外の有名私立高に進学する卒業生もいた。正規の6時間授業に加え、朝と放課後に課外授業を行っていた時期もあった。

 「ちまたを遠く」で始まり、「みどりの山をめぐらし空は澄み風清きところ」と続く校歌は、同市出身の詩人渡辺修三が作詞し、西崎嘉太郎作曲で58年9月に制定された。今でこそ住宅地が広がっているが、当時学校ができた場所は谷。山の自然豊かさが歌詞に表れている。

 1学年が200人を超える時期もあった同校だが現在の全校生徒数は206人。旭小学校(中川原町)の卒業生が進学する。


◆丘陵に上多々良遺跡−平安時代の蔵骨器など発見(岡富町−古川町)

 岡富町、古川町にまたがって「上多々良遺跡」がある。

 場所は、岡富山から南に延びる標高約45メートルの丘陵地。岡富古川土地区画整理事業に伴い、2005年から09年にかけて発掘調査が行われた。

 さまざまな形態の古墳・埋葬施設、土器埋設遺構、古代の火葬墓などが見つかり、「複合遺跡」であったことが明らかになった。

 また延岡市内では初めて、人骨が納められた状態の須恵器のつぼ「蔵骨器」が発見された。見つかった穴に敷かれた防湿、防腐用の炭から、平安時代の9世紀のものだという。

 祭祀(さいし)遺構から見つかった土師器(はじき)(素焼きの赤褐色の土器)の坏(つき)(飲食物を盛る器)には、「左」と読める墨書があり、県北で初めての事例になった。

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