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牧水直筆の草稿−延岡市に寄贈

本紙掲載日:2020-05-22
1面
延岡市に寄贈された若山牧水の直筆の草稿

上大瀬町の医師川名さん

◆原稿用紙に合計12首−貴重な研究資料に

 延岡市は、同市上大瀬町の川名皮膚科院長の川名修さん(68)から、若山牧水の直筆資料の寄贈を受けたと発表した。牧水は旧制の延岡中学校(現延岡高校)在学中に、生涯使うことになる「牧水」の号を名乗りはじめるなど延岡とゆかりが深く、資料は牧水研究を進めていく上で貴重という。

 市教育委員会文化課によると、資料は、若山牧水の第13歌集「くろ土」に所収されている3首と第14歌集「山櫻の歌」に収められている9首の合計12首の歌を原稿用紙2枚に書きつづった直筆の草稿。原稿用紙の大きさは縦25・6センチ、横17・4センチ。

 草稿は川名さんの親族が収集していたが、「牧水ゆかりの延岡で役立ててほしい」との意向で川名さんに譲られた。資料と同封のはがきや貼付切手などから、東京都三鷹市の古書店で1967(昭和42)年〜72(同47年)年に購入したものと考えられる。

 草稿に記された12首の歌は、『くろ土』所収の3首が「駒が嶽のふもと」、『山櫻の歌』の9首の前半6首が「白骨温泉」、後半3首が「上高地付近」の詞書(和歌・俳句の前書き)のある歌であるため、すべて長野県内で詠まれた歌であることが確認できる。

 資料中の「『山櫻の歌』より」の記述から、草稿が同歌集の発刊された1923(大正12)年5月以降に書かれたと考えられる特徴などを踏まえると、1925(同14)年6月に長野県で開かれた揮毫(きごう)会に向け、歌を検討するために書いたと思われる。

 同時期の牧水の書簡などによると、牧水が同年5月12日に長野県出身の歌人中村柊花宛てに出した書簡に、揮毫会で自らが書く歌に関する記述があるのに加え、追伸部分には歌を同封したとの記述もあることから、書簡と共に郵送された草稿の可能性が高いと推測される。

 また、草稿の歌は、3番目の「なだれたち…」の下の句の「雪」は歌集では「雨」であったり、4番目の「路ばたの…」は「山路なる…」、7番目の「露干なば…」の下の句「露ぞ輝く」は「かがやきを見よ」であるなど、歌集の表記と違いがあるのも特徴という。

 牧水が意識していたかの判断は難しいが、歌集出版後も随時改作を加え、より良い歌を作ろうとする歌に向き合う情熱や、全国各地で開かれた揮毫会をより盛会にしようとする姿勢がうかがえるなど、同課は「数々の示唆を与えてくれる貴重な資料」としている。

 若山牧水の直筆の草稿資料を寄贈した川名さんは、「牧水は延岡にゆかりのある歌人で、祖父が旧制延岡中学校の同期になる。内藤記念館が新しく建て替えが進み、きちんとした保存も期待できる。延岡の文化の発展に役立ててもらえれば」と話している。


◆寄贈された牧水の直筆の草稿にあった内容は次の通り。

(欄外朱)「書き入れるべき歌」
同八年四月伊那にて、『くろ土』より

天龍川いまだ痩せたるみなかみの此処の渓間に雪は積みたり

雪雲の天つ空さし晴れゆけばあらはなるかも駒が嶽の山

なだれたち雪とけそめし荒山に雲のいそぎて雪降りかゝる

同十年十月白骨温泉にて『山櫻の歌』より

路ばたの野菊の茎の伸びすぎて踏まれつゝ咲けるむらさきの花

おほかたの草木いろづける山かげの蕎麦の畑を刈り急ぐ見ゆ

湯の宿のゆふべとなれば躬みづからおこしいそしむこれの炭火を

露干なば出でゝあそばむあかつきの薄が原の露ぞ輝く

来て見れば山うるしの木にありにけり樺の林の下草紅葉

冬山にたてる煙ぞなつかしきひとすぢ澄めるむらさきにして

いわけなく涙ぞくだるあめつちの斯る眺めにめぐりあひつゝ(上高地にて)

またや来むけふこのまゝにゐてやゆかむわれの命の頼みがたきに

山七重わけ登り来て斯くばかりゆたけき川を見むと思ひきや(梓川)


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