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畳堤はなぜできた特集−延岡の守る会が他県の畳堤を視察

本紙掲載日:2017-01-25
8面

3県3様の形と歴史−城下町を守るために、景色は楽しめる

 延岡市の「五ケ瀬川の畳堤を守る会」(木原万里子会長)はこのほど、他県の畳堤を視察した。畳を差し入れることで堤防を一時的にかさ上げする特殊堤防の畳堤は全国に3カ所現存し、延岡市のほかは岐阜県岐阜市の長良川と兵庫県たつの市の揖保川。木原会長はじめ6人が視察に参加した。各県の畳堤の特徴を紹介する。

□五ケ瀬川(延岡市)−独特の扇形

 延岡市の畳堤は、五ケ瀬、大瀬の両河川に計2キロ設置されていたことが過去の写真で分かっている。このうち980メートルが五ケ瀬川両岸に残る。

 昭和9年の地元紙に、大瀬川左岸の畳堤の写真が載っていることから、延岡市の畳堤が全国で最も古いと推察されるが、火災や戦災の影響で記録がなく、正確な施工年、施工者、経緯も不明。守る会は、その手掛かりを探るとともに、畳堤を接点とする3市交流を呼び掛けようと視察を企画した。また、各種パンフレットを持参して延岡市の観光もPRした。


□長良川(岐阜市)−鵜飼い地域の下流

 長良川の畳堤を管理する国交省中部地方整備局木曽川上流河川事務所では、戸谷三知郎副所長や長良川環境レンジャー協会の坂井田節理事長ら8人に迎えられた。坂井田理事長は平成26年に開かれた「第14回川に学ぶ体験活動(RAC)全国大会in五ケ瀬川」に参加し、来延したことがある。

 長良川は木曽川、揖斐川と合わせて「木曽三川」と呼ばれ、合計流域面積が9100平方キロメートルに及ぶ大河川(五ケ瀬川は1820平方キロメートル)。三川が互いに関係し合って甚大な水害を引き起こすため、国が古くから直轄管理してきた。畳堤も国交省の前々身の内務省が昭和8〜15年に施工した。

 畳堤があるのは鵜(う)飼いで知られる地域から少し下流の忠節町。東に岐阜城を望む。金華橋から忠節橋間の左岸に1・6キロが建設当時のまま残っている。

 堤防は盛り土で築くのが原則だが、かさ上げしようとすれば、それだけ広い敷幅を必要とする。忠節町は、その名が示すように織田信長時代につくられた下屋敷だ。堤防かさ上げの敷幅を確保するためでも、そのような由緒ある町を削ることはならないと反対されたため、「仕方なく」、特殊堤防が採用された。

 特殊堤防は、畳堤に限らない。胸壁(胸の高さ程度のコンクリート塀)を設置した堤防や、コンクリート擁壁の堤防を言う。

 忠節町の場合、洪水時以外は、岐阜城や鵜飼いなど周囲の景色が楽しめるように畳堤が設置されたという。畳をはめると、堤防は約1・5メートル高くなる。

 畳の差し入れ口は158〜176センチ。延岡の畳堤と同じ五八間(88センチ×176センチ)用と考えられる。太い鉄の棒を横に渡して枠を補強してある。

 畳堤を実際に使った記録はない。昭和34年の伊勢湾台風の時に使おうとしたが、その頃普及していた畳とサイズが合わなかったという話がある。

 また、鵜飼いや船頭の住む鵜飼屋地区と川原町地区には、洪水時に電動でゲートが閉まる「陸閘(りっこう)」という大規模な水防施設がある。


□揖保川(兵庫県たつの市)−形は2種類、畳820枚を常備〃現役〃の印象

 揖保川の畳堤は、長良川を参考に造られたことがはっきりと分かっている。管理者の国交省近畿地方整備局姫路河川国道事務所で、能勢伸一・河川管理第一課長から説明を受けた。

 たつの市は、平成17年に龍野市、新宮町、揖保川町、御津町の1市3町が合併して誕生した。

 畳堤は旧龍野市域に2721メートル(1277枚分)、約4キロ下流の揖保川町域に253・4メートル(105枚分)、河口に近い御津町域に159メートル(62枚分)あり、総延長3・1キロ(1444枚分)。国交省の前身の建設省が昭和24〜32年に施工した。

 同22年に旧龍野市域で河川改修が計画された際、両岸に人家が迫っているため胸壁を設置することになったが、同所は龍野城の城下町で景観が良い。「普段は揖保川が眺められるように枠だけにしてほしい。洪水の時は自分たちも畳を入れて協力する」との周辺住民の要望で畳堤になったという。

 旧龍野市域の畳堤は、本間(95センチ×191センチ)の畳2枚を並べてはめるように造られており、差し入れ口は385センチ。河川側の中央に押さえがある。揖保川町域と御津町域の畳堤は本間1枚用。

 3地域とも老朽化でひび割れ、剥離、鉄筋露出などが見られたため、国交省が平成13年11月から14年3月にかけて補修した。コンクリートの劣化を防止する炭素繊維シートを貼り、塗装して仕上げた。御津町域では白く塗った。

 これまでに使われたことはないが、実際に使えるように、当時と同じ本間サイズの畳820枚が防災センターに常備されている。平成13年以降、近畿地方の河川の持ち回りで行う大規模な水防訓練の際に、水防団が畳を入れる訓練を行う。「歴史的防災施設」というよりも「現役」の印象だ。

 能勢課長は「訓練では水防団が畳を入れているが、1000枚も入れようとすれば、かかりきりになってほかに何もできない。だから、実際に水が来た時には、住民が自分たちで入れる、という考えで造られたのではないか」と話した。

□共通点

 畳堤のある3カ所とも城下町。川に人家が迫っているため、十分な幅の土の堤防を造れない。

□相違点

 長良川と揖保川の畳堤は、人家との間に広い車道があるため、ガードレールのように見える。立ち上げ部の高さは畳の大きさと同じ。畳を入れない状態で横から見た枠の形は四角。畳の差し入れ口は河川側が開いている。

 五ケ瀬川の畳堤は、畳の3分の2の高さしかなく、バンコ(縁台)が並んでいるように見える。横から見た枠の形は扇形。差し入れ口の形は四角。また、「五ケ瀬川の畳堤を守る会」のように、畳堤そのものの保全を目的とする市民団体があるのは延岡だけだ。

 木曽川上流河川事務所の戸谷三知郎副所長は「水防施設に関して岐阜よりも熱心な市民団体があることに驚き、熱意に感動した」と話していた。

□治水の歴史

 木曽川上流河川事務所では、木曽三川の治水の歴史についても詳しく話を聞いた。

 宝暦3(1753)年に発生した大洪水の後、徳川幕府の命令で薩摩藩から派遣された947人が「お手伝い普請」を行った。自殺・病死・水死者が続出し、薩摩藩が多額の借金を抱えることになるほどの難工事だった(宝暦治水)。

 明治20(1887)年からは、政府が招聘(しょうへい)したオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケの指導の下で、三川分流工事が行われた。デ・レーケは同6〜36年まで30年滞日し、全国で治水と築港を行うとともに、日本人にその技術を伝えた。木曽三川の分流は、デ・レーケが離日して8年後(同44年)に完成した。

 また、水防には古くから畳がよく使われていたという。のり面が浸食されたり、ひびが入ったりした堤防に畳を張り付けて補強する方法を「畳張り工法」という。「水防団員だった時、畳を水防に使うなら、どこの家からでも勝手に持ってきていいと言われていた」と坂井田・長良川環境レンジャー協会理事長。

 守る会の木原会長は「延岡に畳堤が造られた経緯は分からなかったが、とても勉強になった。延岡市も、揖保川のように畳堤に畳を入れる水防訓練ができると、市民の防災意識が向上するのではないかと思った」と話した。

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