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延岡までの不可解なルート−なぜ「大変な山の中」なのか

本紙掲載日:2016-10-17
7面
明治時代の書生姿で講話をする伊能秀明さん(右)。池田知聡さんが『坊っちゃん』の一部を朗読した
亀井神社の拝殿で開かれた奉納講話

明治大学・伊能秀明さん、夏目漱石「坊っちゃん」の謎解明

◆亀井神社藩祖祭で朗読交え奉納講話

 東京の明治大学図書館総務事務長の伊能(いよく)秀明さんは、9日に延岡市天神小路の亀井神社で行われた「秋祭り・藩祖祭」で講話を奉納し、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の登場人物「うらなり」の転勤先として描かれた「延岡」についての〃謎〃解明に挑んだ。

 伊藤俊郁宮司らの神事に続き、祭壇の前に立った伊能さんは明治時代が舞台の『坊っちゃん』に合わせて、絣(かすり)の着物に袴(はかま)という当時の書生姿。参拝者たちを和ませた後に講話を行った。

 伊能さんはまず「『坊っちゃん』における延岡をめぐる不可解な表現」についての説に入る前に、小説の時代設定についての私見を述べた。

 それによると、今から110年前の明治39(1906)年に発表された『坊っちゃん』の時代設定は明治28年ごろとされているが、それだと教頭の「赤シャツ」によって「うらなり」が転勤させられる延岡中学校はまだ開校していなかった。県立延岡中学校の創立は明治32年であり、同28年では「うらなり」を延岡中に赴任させることは「できない相談だった」。そこで「時代設定が小説執筆当時の明治39年なら、延岡中は開校8年目を迎えており、『うらなり』は同校に赴任できたことになる」という。

 この時代設定の見直しにより、『坊っちゃん』で書かれている愛媛県松山市から延岡までの経路「船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎から又一日車へ乗らなくっては着けない」という〃謎めいたルート〃を解明したという。

 それは明治36年に大阪商船の航路が「大阪―細島線」から「大阪―内海線」と、宮崎市の内海(うちうみ)まで延ばされたことによるとする。伊能さんはこう説明した。

          ▽          ▽

 明治36年10月、航路が細島港から内海まで延長されたので明治39年の小説執筆当時は、「うらなり」を愛媛県の三津浜港で乗船させ内海港で下船させることができた。

 つまり、「うらなり」が三津浜港で乗船し内海港で下船。馬車に乗り宮崎へ行き県庁で辞令を受け、宮崎からまた馬車に乗り延岡へ赴任する経路を着想した。「赤シャツの云(い)ふ所」に従い「うらなり」を延岡に転勤させるなら、この経路こそ最も合理的だと思う。

 また伊能さんは、漱石が『坊っちゃん』の中で延岡を「延岡といえば山の中も山の中も大変な山の中だ」と書いたことについて、平成22年に宮崎大学名誉教授の菅邦男さんが発表した論文「夏目漱石『坊っちゃん』―延岡は何故『うらなり』の転勤先なのか」での見解に沿って説明した。

 漱石が「うらなり」の転勤先に延岡を設定した理由、なぜ「山の中も山の中も大変な山の中だ」と記したのか−−。伊能さんは菅説の要点を次のようにまとめた。

 なぜ漱石は『坊っちゃん』に延岡を登場させたのか。菅名誉教授は、西郷隆盛が和田越の決戦後、可愛岳の突破から鹿児島の城山へ敗走した西南戦争が深く関わっている。漱石の西郷隆盛に寄せる深く強い思いが、「延岡」に重なり合ったからである、と判断された。

 漱石は、坊っちゃんが「うらなり」の転勤に驚き、ぼやく場面で「聖人のうらなり君」と称し、山嵐には送別の辞で「うらなり」の人柄を「温良篤厚の士」の言葉で表現させた。延岡はまた、漱石の敬愛した西郷隆盛が最後の決戦を試みた地でもあった。菅名誉教授は、漱石が「うらなり」の転勤先を延岡に設定した理由を次の通り締めくくられた。「西郷が陸軍大将の軍服を焼き捨て、解軍宣言を出し、西郷軍が壊滅した延岡こそ、『聖人うらなり君』の落ち行く先としてふさわしい所だったのである。」

           ▽          ▽

 講話の最後は、宮崎市在住の俳優・声優の池田知聡さんが『坊っちゃん』の一部を朗読。登場人物たちを声だけで描き分け、参拝者たちを物語の世界に引き込んだ。

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