【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 300円
▽LL サイズ 1枚 500円
▽A4 サイズ 1枚 1,200円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は500円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 300円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 500円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 1,200円
(ラミネート加工は300円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

ひねくれ者が落語家に

本紙掲載日:2022-08-19
8面

前座修行中の27歳−桂伸ぴんさん(延岡出身)インタビュー

 前座として修行中の延岡市出身の落語家、桂伸ぴんさん(27)。今年1月には門川町で開かれた落語芸術協会主催の親子落語ワークショップに出演し、初めて地元・宮崎県で高座に上がった。「ひねくれ者だった」という少年が、なぜ落語家を志すようになったのか。帰省に合わせ、これまでの歩みを聞いた。


−−まずは、どのような幼少期だったのか気になります。

ひねくれ者を極めていましたね。目立ちたがり屋のくせに、表に出されたら何もしゃべれない。父や母から見たら、何をしたいのか、何をさせたらいいのか分からない。
たまにしゃべったと思って、やらせてみたらそっぽを向く。協調性は皆無です。そんな時期が中学生の頃まで続きました。
当然、友達はできず、先生にもそんな調子なので勉強も全くしませんでした。中学校ではサッカー部に入部しましたが、キャッチボールをしていましたね。
中学3年生になり「卒業後は、高校には行かず、アルバイトをする」と母に伝えたところ、悲しい顔をされました。社会の仕組みも、人生がまだまだ長いこともよく分かっていなかったのです。
そんなわけにはいかないと、急きょ塾に通うようになったのですが、成績が上がるはずもなく、聖心ウルスラ学園高校に拾っていただきました。
ずっと同世代の友達がいなかったので気付かなかったのですが、中学校を卒業する頃になってようやく「あれ、僕だけすごい後ろにいるな」と。4、5歳のままだった心が、少しずつ体に追い付いてきたのだと思います。

−−そんな少年が、何がきっかけで落語家を志すようになったのでしょうか。

もともと父が教育に厳しく、テレビのお笑い番組やバラエティー番組をあまり見ることなく育ちました。
高校1年生の時、サッカー部の先輩が文化祭で漫才を披露したのですが、それが僕にとっては斬新で、衝撃的でした。こういうものが存在するのかと。自分も目の前の人を楽しませたいと思うようになりました。
そこからインターネットの動画でプロの漫才を見て、ネタを全部ノートに書き起こし、ネタの仕組みを勉強しました。そしてオリジナルのネタを作るようになりました。
だけど、自分で舞台に立って表現したいとは思いませんでした。本当はしたいけれども無理だろうと。卒業後は「構成作家になりたい」とはっきり自分の中にありましたが、「なれるはずがない」という気持ちもあり。ひねくれ者は健在でした。
そこでひとまず高校卒業後、お笑いの文化を求めて福岡県を目指すことにしました。両親に「父さんと同じ建設関係に進みたい」と偽って。
福岡市にあった福岡建設専門学校に通いながら、ネタを書き、アマチュア芸人としてライブにも出演するようになりました。
1年たった頃、意を決して帰省して、父に「今、芸人やっています」と伝えました。勘当される覚悟でした。だけど、父は「25(歳)までだな」と言っただけでした。僕が自分からやりたいと言ったのは、これが初めてでした。だから「だめだ」とは言えなかったのでしょう。
専門学校をどうにか卒業し、アルバイト生活を続けながらネタを書き、アマチュア芸人としてライブに出演。そんな生活を23歳まで続けました。
その間、大手芸能プロダクションが運営する芸人養成機関に入校し、そこで相方を見つけてコンビを組みました。
一時、その大手芸能プロダクションの所属芸人として活動しましたが、そこは「ゴールはテレビに出ること。ライブはそのためのステップ」という世界でした。
僕は目の前の人を楽しませたいと思って、芸人を続けてきました。だから「ちょっと違う」「僕が目指しているのはそこじゃない」とズレに気付いたのです。
同時に、やっとスタート地点に立てたと思っていたのに、そこはスタート地点ではなかった。この数年間は何だったんだ。もう芸人はやめよう。そこまで落ち込んでしまいました。
そんな時、何気に見ていたインターネットの動画で落語を聞いて、久々に笑いました。
実は、専門学校生時代にインカレ生(他大学のメンバー)として九州大学落語研究会に加入していました。
加入後ほとんど活動していなかったのですが、あと1年、籍が残っていました。あと1年だったら頑張れると思い、復帰することにしました。もちろん全力で。それが、落語との出合いです。
その後、落語家になると決心し、コンビを組んでいた相方に相談したら「行ってこい」と背中を押してくれました。相方は、それまで何度も「お前は表現者であるべきだ」と励ましてくれていました。

−−そして、2018年9月に上京します。

泊まるあてもなく、リュック一つで上京し、友達の家を転々としながら寄席通いを始めました。昼も夜も寄席に通い、その中で引かれたのが師匠(桂伸治さん)でした。
とにかく伸び伸びと元気に、誰よりも楽しそうに高座に上がっていて、師匠が登場するだけで、ふわっと雰囲気が明るくなる、そんな落語家でした。
寄席から出てきたところに声を掛け、弟子入りを申し出ました。翌日改めて師匠の自宅にうかがい「いいよ」と返事をいただきました。
かつての弟子は、師匠の自宅に住み込み、身の回りの世話をしながら、けいこを付けてもらっていましたが、住宅事情の変化で、今や師匠たちもマンション暮らしが増え、「通い」の弟子が多くなっています。僕もそうです。
2019年4月に七番弟子として入門し、同年9月に前座として楽屋入り、寄席での修行が始まりました。
「伸ぴん」という芸名は、一門の落語会後の座談会で、お客さんの多数決で決まりました。他に「伸びて」「のびのび」「銀治(ぎんじ)」という候補があり、本当は「銀治」がかっこ良くて、良かったのですが。

−−落語という文化を今、どう感じていますか。

さまざまある伝統芸能の中でも、落語は他流派、他一門での出げいこが許されている、珍しい伝統芸能です。だから芸の幅が広がり、生き残っている。芸の寛容さを感じます。
それ以上に、うちの師匠は寛容です。普通は師匠の都合に合わせてけいこを付けてもらいますが、うちの師匠は頼んだら付けてくれます。さらに言うと、けいこを理由に一緒にお茶したいだけだと思います。
これだけ優しい人だったら、さぞ裏があるはずだと思っていたのですが、本当に裏表のない人で。有り難いことです。
ですから師匠の優しさに甘えていてはだめだと、着物の時以外、仕事中は基本スーツを着ています。師匠に恥をかかせないために、そして自分自身を律するためです。

−−最後に、今後について。

落語って理解できたら絶対に面白い。僕たち落語家が分かりやすく丁寧に伝えられたら、初めて聞く人にもきっと楽しんでもらえるはずです。
落語は決して敷居の高い伝統芸能ではありません。地元・宮崎県でも、もっと気軽に楽しんでもらいたいと思っています。
そのためにも、まずは僕のことを知ってもらい、まだ前座の身ではありますが、落語を披露させてもらえたらうれしいです。


【プロフィル】本名・渡辺渉。延岡市出身。岡富小、岡富中、聖心ウルスラ学園高を卒業後、福岡建設専門学校などを経て2019年4月、落語家・桂伸治に入門し、七番弟子となる。同年9月に前座として楽屋入り、寄席での修行を開始する。27歳。



その他の記事/過去の記事
page-top