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井上城と愛宕山のお膝元−物語豊かな文教のまち

本紙掲載日:2021-08-31
7面

延岡市愛宕町、恒富町、古城町、大瀬町、新小路、西小路

◆創立122年の伝統校−市立恒富小学校(愛宕町1丁目)

 市立恒富小学校は、1851年に発足した藩塾新小路学問所の流れをくみ、長い歴史を持つ。新小路私塾、新小路学校などを経て、81年には恒富村内の小学校を統合。89年に延岡町、岡富村、恒富村組合立延岡尋常小(現・延岡小)が本小路に設立されると恒富分教場となった。

 97年、恒富村の不就学児が増加したことで小学校独立運動が起き、99年5月、恒富尋常高等小学校創立。以降5月20日が創立記念日となった。

 一時は延岡、岡富の学校組合で恒富女子尋常小が開設されたが、1917年に併合した。31年には高等科を分立し恒富尋常小へ。その後、児童数の増加で33年に南小、38年に東小を分立。戦後の47年に市立恒富小に改称後も児童数は増加し、57年には3000人を超え、翌58年に西小を分立した。

 校歌は31年、八波則吉作詞、小松耕輔作曲で制定。愛宕山、大瀬川などが歌われている。

 大型商業施設や工場に囲まれた立地ながら、2017年に国土緑化推進機構が定める学校環境緑化モデル事業校に指定。18年には県から緑化優秀校として表彰を受けた。

 現在、約180人が在籍。「『いのち』輝き、自らを切り拓(ひら)くたくましい児童の育成」を目指し、地域ボランティアなどにも取り組んでいる。


◆122年の伝統校に新しい風−県立延岡高校(古城町3丁目)

 明治維新に伴う藩校の廃止後、県北地区の中等教育を担った私立の延岡社学(後に亮天社と改称し、後年は旧藩主内藤家が経営)に代わって設立された県立の旧制延岡中学校と、亮天社付属女児教舎を創始とする延岡高等女学校をはじめ、延岡恒富高校、延岡岡富高校を前身校とし、1959年に延岡高校と改称して現在に至る。

 創立記念日は、旧制延岡中が開校した1899年5月25日で今年122周年。卒業生に歌人若山牧水(旧制延岡中1回卒)、空の先駆者後藤勇吉(同11回卒)らがいる。「うるわし延岡」で始まる現在の校歌(近衛秀麿作曲)を作詞した詩人渡辺修三も同18回卒。

 2007年4月、へちま襟が特徴だった女子の冬制服が40年ぶりに変更され、セーラー服となった。11年4月には、「地域の医療や先端技術産業の将来を担う人材を育成する」を目的に、理数科を「メディカル・サイエンス(MS)科」に改編。

 20年には、先進的な理数教育を実施する高等学校等を支援する文部科学省の事業「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に選ばれ、学識者を招いた講演会や実地調査、研究発表などを行っている。

 部活動にも力を入れ、運動部、文化部とも活躍。現在約720人の生徒が伝統校で学ぶ。


◆来年9月に60周年−市立恒富中学校(古城町4丁目)

 市立恒富中学校は1960年、延岡中の西分校建設期成同盟会発足により設立が決定。61年10月に第1期、62年3月に第2期工事を行い、同4月、生徒753人、教職員23人で延岡中第2校舎としてスタート。南方中の下三輪区域の生徒も編入した。同9月、恒富中学校として開校独立した。来年60周年を迎える。

 校歌は窪宮和夫作詞・作曲、今村健二編曲。3番まである歌詞には、愛宕山、大瀬川など、同校を囲む豊かな自然が詠み込まれている。

 2006年8月、設立以来で老朽化していた校舎を全面建て替え、新校舎が完成。現在、「気付き考え行動する」をスローガンに、地域と連携した活動やSDGsの学習にも力を入れる。


◆みどりの朝のそよ風に…−市立西小学校(古城町2丁目)

 市立西小学校は、恒富小の西分校として1956年に設立。58年4月、西小学校として独立認可され、児童972人、職員22人でスタートした。

 同年10月、「みどりの朝のそよ風に」で始まる2部合唱の校歌(渡辺修三作詞、西崎嘉太郎作曲)と、同時に校旗が制定された。

 62年4月、恒富中と同じく下三輪地区が校区に組み入れられたため、南方小の下三輪分校を西小の分校としたが、71年9月に本校に統合した。

 2008年11月にあった50周年記念式典の記事によると、開校当時、同校の南側は田んぼが広がり、岩熊用水の流れが見えた。校庭は石ころばかりで、児童が毎日石を拾って整備したという。

 現在は「自ら学び心豊かにたくましく生きる児童の育成」を教育目標とし、316人の児童が通う。



◆土持氏時代を伝える天守山−井上城跡(古城町5丁目)

 井上城は、中世に延岡の地を治めた土持氏が築いた。城跡は地域の人に「天守山」と呼ばれており、一昔前まで参道途中にある野外ステージで演芸大会が開かれるなどしたという。

 築城は1177年の土持栄綱(よしつな)説、1297年の土持国綱説などあるが、根拠となる史料は残っていない。城の必要性や内藤家所蔵の「田部系図」などによると、1339年ごろの築城が有力とされている。土持全宣(やすのぶ)が1429年に西階城に移すまで居城にしたという。

 同山には、内藤藩が経営していた日平銅山(北方町)開発に尽くし、恒富村議会議員も務めた笠原鷲太郎の顕彰碑も建てられている。


◆創建1303年の氏神様−春日神社(恒富町4丁目)

 春日神社は718年11月25日の創建と伝わる、旧恒富村の氏神様。春日大明神と名付けられたが、廃藩置県後の1870年、「恒富神社」に改称。氏子の熱望で1968年、「春日神社」に復元した。古くは近くを川が流れていたといい、「荒瀬の宮」と称された時代もあった。

 天孫ニニギノミコトの降臨の際に同行したアメノコヤネノミコトやタケミカヅチノミコトら4柱が主祭神。

 戦時中は社殿の屋根に使われていた銅や、大通りの鳥居も金属類が接収され、舞殿が空襲に遭うなど、戦争の影響も大きく受けた。戦後まもなくは田が一面に広がり、すぐそばを愛宕用水路が流れていたが、現在は住宅地の中に立つ。

 社殿の両側にそびえ立つご神木のクスは樹齢約900年とも言われる。昔から変わらず「春日さん」と親しまれ、初詣や夏越の大祓祭、7月の夏祭、12月の例祭などに市内外から多くの参拝客が訪れる。


【愛宕山大通りの桜並木】
西小路通り線(通称・愛宕山大通り)では毎春、全長約900メートルの道路の両脇に植えられた約130本のソメイヨシノが満開になり、ピンクのアーチをつくる。


【淡島大明神大祭での火渡り神事】
「あわしまさん」と親しまれる女性の守り神「淡島大明神」が、古城町の光明寺境内に祭られている。毎年3月3日の桃の節句に開かれる大祭では、参拝者が熾火(おきび)の上に組まれた丸太を素足で渡って、加護を願う。



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