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鉄道が通って発展−民話残る文化の町(2)

本紙掲載日:2021-04-30
7面

延岡市伊達町、共栄町、構口町、平原町、若葉町

◆市内最多の児童数−南小学校(平原町2丁目)

 市立南小学校は延岡町が延岡市となった1933年4月、恒富尋常小学校から分離独立し「市立南尋常小学校」として現在地に開校。児童450人、教職員15人でスタートした。

 同11月、桑原沓が作詞、有馬俊一が作曲を担当し、「大空ひたす日向なだ」で始まる校歌が制定された。

 41年、国民学校令により南国民学校に改称。44年には、食糧増産を目的に校庭を甘藷(かんしょ)畑にしたことが同校沿革に記されている。

 戦後の47年には初等科(6年)が新学制の南小学校へ。その後、児童数の増加が続き、教室の増築が何度も繰り返された。56年6月には給食調理室が完成。翌7月から完全給食が始まった。

 58年4月には、緑ケ丘分校を現在の緑ケ丘小の場所に設立。校舎が完成するごとに順次、学年別に児童を収容した。分校は59年4月、市立緑ケ丘小学校として分離独立した。

 70年8月、原因不明の火災に見舞われたが、運動場にプレハブの教室を設置して授業を続け、翌年、鉄筋造りの校舎を建設。今年で88年目を迎える。

 ピーク時は約1600人が通ったが、緑ケ丘小の独立とその後の少子化で児童数は年々減少。95年以降1000人を切った。しかし現在も700人前後を維持しており、市内では最も児童数の多い小学校となっている。

 近年は地域と連携した学習活動にも力を入れ、地域の人たちとの交流や南中と連携した活動にも取り組んでいる。



◆生徒の絆、強く−延岡青朋高校(平原町2丁目)

 県立延岡青朋高校は1948年4月、「教育機会均等」の理念の下、延岡恒富高校定時制として創立された(古城町)。夜間部普通科、夜間併設中学、通信教育部を設置。働く人の学ぶ場となった。

 翌49年4月、通学区域制の実施で、本校に延岡岡富高校が併合、富島高校と高千穂高校区の生徒はそれぞれの学校に編入されるなどの変化があり、定時制は昼間部42人、夜間部311人、通信教育部66人となった。翌50年には定時制昼間部を廃止し、全日制に編入した。

 59年には本校が延岡高校に改称。60年、夜間部に商業科が設置された。

 69年4月、「県立延岡第二高校」として分離独立し、夜間部と昼間部の2部制となった。72年には平原町の現在地に新校舎の一部が完成し昼間部が移転。74年に夜間部が移転。79年までに体育館、弓道場、プールなどが次々と完成した。

 91年、2部制を休止し、夜間部のみとなったが、2001年、通信制課程を開設し、単位制を導入した。

 現在名に改称されたのは06年。名称は公募によるもので、働きながら学ぶ生徒の若々しさや学校周辺の自然を表した「青」、生徒同士が強く結びつく仲間であるようにと「朋」の漢字を合わせた、願いのこもった名前が付けられた。改称と同時に、新しい校章と校歌も制定。校歌は、「詩のボクシング」県大会の初代優勝者で、当時同校に勤務していた藤正二さん(国語科)が作詞し、後藤康浩さん(公民科)が作曲した。

 現在は定時制課程普通科に62人、同商業科に31人、通信制課程に341人の生徒が在籍。また、前期(4〜9月)と後期(10〜3月)に分けて、在校生と一緒に授業を受ける履修生も募集しており、市民の生涯学習の場としての役割も担っている。



◆市南部発展の基礎−南延岡駅(構口町1丁目)

 日豊線は、県内では南から建設されたため、南延岡駅は、延岡駅より1年以上早い1922年2月11日、建国記念日に開設された。

 「延岡百景今と昔」(小嶋政一郎著)には「いよいよ我が延岡市にも、汽車がはいることになったという喜びがあふれた。(中略)『将来の発展、期して待つべしだ』と期待も大きかった」とある。

 ちなみに延岡駅の開通は23年4月。同書によると、同年12月には北から延びてきた線路と「宗太郎駅」(大分県佐伯市宇目)で接続し、延岡で「日豊線全通祝賀会」が開かれたという。

 南延岡駅がある構口町は旧恒富村に属する。同村の中でも人通りが少なく、寂しい地区の一つだったが、駅ができ、乗客が利用するようになってから少しずつ街が形成され、発展していった。現在は飲食店、旅館をはじめさまざまな店舗が立ち並び、住宅地も広がっている。

 同駅の区域には県立、私立合わせて四つの高校があるため、通学などでの利用も多い。

 また、同駅は改札口や待合所が2階に集約された珍しい構造。そのため昨年10月には、エレベーター設置などを目指す「南延岡駅バリアフリー化促進期成会」が発足し、実現を目指して活動を始めた。



◆地下道取り付け工事で移転−下平原水神社(平原町4丁目)

 県道稲葉崎平原線から見える「下平原水神社」と書かれた立派な石碑。ここから急な階段を上った先に、コンクリート製の社がある。

 境内には複数の記念碑が建立されている。そのうちの一つ、「水神社移転新築記念碑」には、同社が移転した経緯や、工事費などが記されている。

 それによると水神社は移転前、県道と国道10号との交差点付近の小高い丘に鎮座していた。1971年、地下に横断歩道を取り付ける国道10号の改良工事のため、水神社の敷地が建設省(現在の国土交通省)に売却された。そのため現在地を造成し、移転新築したという。

 84年に下平原公民館の人たちが編集委員会を組織し、調査、発刊した「下平原のあゆみ」には、現在地が県道より15メートル高いため、重機で上げて安置したと記録されている。

 神社からさらに階段を上ると「下平原緑地公園」があり、神社や公園へと続く階段は、津波発生時の避難路でもある。



◆130超の講座を用意−さざんぴあ(構口町1丁目)

 カルチャー&フィットネス「さざんぴあ」は社会保険庁の延岡社会保険健康センター「ペアーレ延岡」が前身。1994年4月にオープンした。

 ペアーレは心身両面の健康づくりを目的にした総合施設で、各都道府県の中核都市51カ所に設置され、延岡は全国で21カ所目、九州で3カ所目の開所だった。

 盛んに利用されていたが、公的年金保険料を年金事業以外に使うことが批判され、全国的に廃止・売却が決定。競争入札で、医療機器などを取り扱う同市緑ケ丘の「株式会社クレイン」が落札し、2007年4月から運営を引き継いだ。

 新名称「さざんぴあ」は公募によって決定。350通の応募の中から、サザン(南の)とユートピア(理想郷)を合わせた造語が選ばれた。

 3階建ての建物に五つの教室、和室、アスレチック、多目的ホール、15メートルの温水プールを備え、さまざまな講座が開かれている。

 現在は太極拳、ヨガ、ダンス、スイミングなどの「フィットネス講座」、語学、音楽、料理などの「カルチャー講座」、子ども対象のバレエやスイミング、英会話などの「キッズ講座」、産前産後の母親やその子を対象にした「マタニティ講座」、「親と子の講座」など全部で130以上の講座がある。

 また、フリータイムには、受講生以外でもプールとアスレチックルームを利用できる。問い合わせ先は電話延岡34・0303。


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