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33の観音像、150年ぶり“再会”

本紙掲載日:2020-12-09
3面
約150年ぶりに〃再会〃した三十三観音石像(6日、延岡市北方町藤の木の太平寺)
慎重に石像を並べていく世話人ら
長い間人目につかない場所にあった石像を搬出

県道沿いを整地し一列に−北方町の太平寺

◆離れ離れの2カ所から世話人らが運ぶ

 明治維新の時に離れ離れとなっていた観音石像33体が6日、約150年ぶりに延岡市北方町藤の木の太平寺(荒木野文雄住職)で〃再会〃した。地区内の2カ所にあった石像を同寺の世話人ら約20人が運び、県道沿いに整地した石積みに並べた。荒木野住職は「観音様は救いや願いをかなえるとされている。ようやく出合いを果たした観音様によってコロナも撲滅してくれることを願いたい」と話した。

 同寺の沿革などによると、太平寺は1443(嘉吉3)年に北方町大保下で開山。1578(天正6)年に大友宗麟による日向攻めで草庵が焼失し、約10キロほど離れた同町板ケ平に移設した。約150年前の明治維新で同町上藤の木にあった観音寺が廃寺となり、太平寺が併合。その際に観音寺にあった観音石像33体のうち、17体を板ケ平の太平寺に遷座した。

 太平寺はさらに2001(平成13)年に現在の場所に移設したが、観音石像は以前の場所に置かれたまま。石像は約2キロほど離れた場所で、それぞれ長い時間を過ごしてきた。

 今年の春、荒木野住職が県道沿いの敷地を整地しようと、石積みをしたところほどよいスペースができた。以前から離れ離れになっていた観音石像が気になっていた荒木野住職は、総代らに相談してもう一度、観音石像を出合わせるプロジェクトを決意した。

 6日は世話人らが2グループに分かれて、板ケ平から17体、上藤の木から16体を運搬。石像を傷つけないよう慎重に軽トラックに積み込み、重機を使って等間隔に33体を並べた。石像に絡みついた草やこびりついた土も丁寧に落とした。

 これまで、周辺住民しか知らないようなひっそりとした場所に置かれていた石像は、県道沿いの人通りのある場所へと移ったことで光を取り戻したかのよう。作業を指揮した総代長の藤本伸幸さん(71)もほっとした表情で観音石像を見つめていた。

 観音様はあらゆる人を救い、あらゆる願いをかなえるために臨機応変に33種類の姿に変身するとされることから、「三十三観音」などと呼ばれる。

 太平寺の三十三観音石像の歴史は不明だが、同じ場所に「宝暦10年」(1760年)と刻まれた石柱がある。

 荒木野住職は「念願がかなって観音石像が再会することができた。皆さまが心から落ち着いて、幸せな日々を過ごすことを願いたい」と話した。

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