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同じルーツだった―延岡と長野の赤須家

本紙掲載日:2019-08-10
3面
一堂に会した長野と延岡の赤須一族

信長の甲州征伐で離散−ともに医師

◆延岡で顔合わせ

 約430年前の織田信長による甲州征伐(武田征伐)により離散したとされる赤須家の子孫が、長い時を超えて延岡に集まった。顔を合わせたのは、延岡市と長野県の一族。互いに別々の歴史を歩んできたが、現在の職業は同じ医者。偶然の巡り合わせに、両家とも不思議な縁を感じている。

 両家は7月28日、延岡市新町の料亭仁吉で一堂に会した。延岡からは医療法人伸和会共立病院の赤須巖理事長、赤須郁太郎院長、赤須晃治副院長ら10人。長野からは赤須医院(東京都港区)の赤須文人医師(長野県出身)、妻の玲子医師、長女の里沙子医師が集った。

 文人さんによると、赤須家の祖先は、戦国時代に信濃国伊那郡赤須村(現在の長野県駒ケ根市)に、赤須城を居城とする武田信玄に従う国衆だった。1582年に織田信長の侵攻を受け離散し、一族の多くは農民となったという。
文人さんの先祖は、長野県で庄屋として酒造業を営んでいた。

 一方、延岡赤須家の先祖は本能寺の変後、徳川家に召し抱えられ、やがて徳川一門の内藤家に藩医として仕官し、現在に至っている。

 文人さんは30年前、久留米大医学部に故赤須崇さん(巖さんの弟)という同姓の教授がいることを医学関係者名簿で発見。それ以来、交流を続けてきたが、まさか2人の間にゆかりがあるとは思っていなかった。

 きっかけは2年前。延岡赤須家は伊那出身の可能性があると聞き、文人さんが調査に乗り出した。

 明治大学所蔵の内藤家文書をひもとき、一族の通字である「為」を持つ先祖の名前があるのを確認。延岡史談会の本村敏郎さんの協力も得て、両家のルーツが同じだと分かった。

 巖さんは「両家は人助けをして喜んでもらう職にある。お互いに医療の道を後世につないでいければ」。文人さんは「今後も赤須家が医師になった経緯などを調べていきたい」と話した。

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