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井堰と用水開削に感謝

本紙掲載日:2021-09-18
1面
昌竜寺であった藤江監物、図書親子の291回目の法要(16日、日之影町の昌竜寺)
地域の水利に尽力した8人の先賢たちの遺徳をしのんだ(17日、延岡市の出北観音堂)

藤江監物291回目法要−日之影昌竜寺

◆出北観音堂、先賢8人の供養祭

 旧延岡藩主・牧野貞通の家老で、延岡市の岩熊井堰(いぜき)と出北用水路の開削に生涯を懸けた藤江監物と、長男・図書(ずしょ)親子の291回目の法要が16日、日之影町七折の昌竜寺(霊元丈法住職)で営まれた。翌17日には同市出北の出北観音堂で、地域の水利や耕地事業に尽力した監物ら先賢8人の供養祭があった。主催は延岡市土地改良区(原田博史理事長)。

 昌竜寺であった法要には、岩熊井堰や出北用水の恩恵を受ける同市の農家や土地改良区の関係者ら約40人が参列。霊元住職や霊元圭昌副住職の読経が響く中、全員が焼香をして手を合わせた。

 霊元住職は法話で、今のように土木技術がない中で開削し罪を背負ったことに触れ「皆さんもご先祖さまが苦労しながら生き残ってきた」と語り掛けた。原田理事長は「岩熊井堰の恩恵を受けている地域が、いつも水騒動する必要がないのは(監物らの)功績によるもの。感謝しないといけない」と話した。

 毎年必ず訪れているという濱田昌男さん(74)=同市別府町=は、「岩熊井堰のおかげで必要な時に水を頂くことができている。水に困ることがないのは本当にありがたい」と、今年も感謝の気持ちを伝えにきたという。

 参列者は法要を前に近くにある親子の墓や、境内にある監物堂にも参拝し、ろうそくに火をともし手を合わせていた。

 出北観音堂であった供養祭は、土地改良区の関係者や役員ら約20人が参列し、先賢たちの遺徳をしのんだ。同所には、岩熊井堰を築造した藤江監物、江尻喜多右衛門をはじめ、▽須輪間井堰、恒富用水路を開削した矢野喜左衛門▽大貫用水路を開削した富山鹿之助、富山喜三郎▽沖田用水路を開削した飯田直三郎▽元恒富村長で恒富用水と出北用水の統合に貢献した日吉幾治▽元県議・元南方村長で岩熊井堰の改修計画に貢献した甲斐奎太郎―の8柱が合祀(ごうし)されている。

 法要では昌竜寺の霊元住職、圭昌副住職と本東寺(同市松山町)の吉田静正副住職の読経が響く中、全員が焼香。子孫を代表し、矢野喜左衛門の9代目子孫・矢野拓豊さん(70)=同市恒富町=が「物事をなすとき、人の和と協力、無償の働きをすることが大事だと学んだ。これからも大切に守り続けていきたい」とあいさつした。

 藤江監物(1687〜1731年)は牧野貞通の重臣。「ひばりの巣」と呼ばれた当時の出北村の農民からの用水路開削の陳情を受けて、1724年に井堰と用水路の工事に着手した。

 人力のみの工事で、洪水等で造っては壊されるの連続で、多額の費用を要した。31年には軍用金の流用の罪を着せられて、監物、長男図書、次男多治見、三男左膳の父子4人が七折村舟の尾に投獄された。図書は半年後に獄死。監物もその1カ月後に獄死した。

 2人の死から4年後の34年に工事着手から10年がかりで完成した。日之影町舟の尾に監物親子の墓を、延岡市出北に出北観音堂を建てて祭った。同市松山町の本東寺、同市野地町の常楽寺、同市惣領町の惣領公民館、美郷町西郷田代などにも墓がある。

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