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雷管工場と共に発展−松林が守る文教の町(1)

本紙掲載日:2021-02-25
6面

延岡市別府町、浜町、緑ケ丘

 延岡市の沖田川の支流・浜川周辺に位置する別府町、浜町、緑ケ丘を訪ねた。別府町は岩熊井堰(いぜき)の恩恵を受けた地域。浜町は、有馬氏が藩主の時、播州赤穂(現・兵庫県赤穂市)から5家族の製塩技術者を招いて住まわせ、製塩をさせたのが町の始まりと伝わる。

 緑ケ丘は、「日本地名大辞典」(角川書店)によると1957年から使うようになった地名。もとは砂浜と松林が広がっていた場所を、浜町の人が開墾して畑にし、「浜ノ山」や「浜山」、「向江」(むかえ)と呼んでいた。29〜39年ごろには市営の競馬場があった。

 39年、長浜町に旭化成の雷管工場が完成すると、南に向かって住宅地が延び、人口が増加。戦後、学校が次々と開校し、文教の町になった。

 学校、地域に大切に守られてきた神社など、主な場所を紹介する。


◆恋しさで石になった神様−安産、縁結びの虎御前(別府町)

 「曽我物語」で知られる曽我兄弟の兄、十郎祐成(すけなり)の恋人・虎(虎御前)を祭るのが「虎御前神社」。安産、縁結び、子授けなどの神様として、ご開帳日の春分の日や秋分の日には、出産を控えた妊婦や赤ちゃんを連れてお礼参りに訪れる家族でにぎわう。市内ではここ別府町の他に、大貫町、舞野町の計3カ所が知られている。

 虎は800年以上前、現在の神奈川県の大磯で生まれたとされる。兄弟が父のあだ討ちを果たすも、その後殺されたことから出家。十郎を恋い慕う気持ちが大磯の石に変身させ、「虎ケ石」になったといわれ、女性の守護神になった。同所にある案内坂によると、同神社では200年以上前から、高さ40センチで先端が丸い円筒形の石がご神体として祭られている。

 年2回のご開帳日には、地元の高齢者クラブ「青葉会」の女性が受け付け、接待を行う。前日に準備するという麻緒、短いろうそく、紅白の小餅を参拝者に手渡す。

 三つの物にはそれぞれ願いが込められている。麻で作ったひもの「麻緒」は、「強い赤ちゃんが生まれるように」と、以前は髪に着けてお産をしていたという。現在は、お守りのように下着の中に入れて、お産に臨む人が多いそうだ。ろうそくは「安産」。「灯が消えるまでにお産が済むように」と、あえて短い物が用意される。参拝者には産気づいてから火を付けるように説明する。また、小餅を食べると母乳が多くなると伝えられている。

 現在の社殿は1982年に改築、落成され、別府地区の人たちによって大切に守られている。


【緑ケ丘の水神さん】(緑ケ丘1丁目)
江戸時代初期、浜町や平原町に開かれた塩田で製塩業に従事していた人たちが、家業繁栄を願って祭ったといわれる。現在は緑ケ丘郵便局の近く、浜橋のそばにあり、浜町の人たちが大切に祭り続けている。

【天満宮神社】(別府町)
王代神社や虎御前のすぐそばにあるやや小ぶりながら立派な建物。別府町を中心とする吉岡一族の先祖を祭っている。古くは吉岡一族の家の敷地内にあったが、1965年に現在地に移転した。

【王代(おうだい)神社】(別府町)
別府地区の氏神。大己貴命(オオナムチノミコト)、磐長姫命(イワナガヒメノミコト)の2神が祭られている。現在の鳥居は2004年6月、107年ぶりに新設され、参道が新装された。

【浜山国有林】(緑ケ丘)
住宅や道路、田畑などを津波や高潮から、また、潮風の被害から守るための保安林。ジョギングや散歩、遊び場としても利用されている。

【浜川緑道(りょくどう)】(緑ケ丘、浜川沿い)
散歩や子どもたちの遊び場として親しまれている公園兼遊歩道。
浜川の汚染水が地下に染み込むという地元住民の声を受けて、当時の河道を埋め、代わりにコンクリート製三面張りの排水路を造る工事が行われた。1977年度完成。同緑道は、かつての河道の上に造られている。


◆地域連携で教育、防災−緑ケ丘小学校(緑ケ丘4丁目)

 市立緑ケ丘小学校は1958年、児童数の増加などから市立南小学校緑ケ丘分校として誕生。校舎が完成するごとに順次、学年別に児童を収容し、59年4月に分離独立した。

 当時、旭化成の社宅、市営住宅、浜川沿いの一般住宅が次々に立ち並び、人口が増加したことから、設置が決定。場所は市営競馬場跡地が選ばれた。

 当初は900人以上の児童が在籍。独立後も教室数が足りず、3年と5年の各3学級は南小学校の校舎を使用していた。全校児童がそろったのは、校舎の増築が完了した61年2月だった。

 在校生、卒業生はもちろん、教職員も「緑小」と親しみを込めて呼んでいる。すぐ近くには、アカウミガメの産卵場所になっている長浜海岸が広がる。同市出身の詩人渡辺修三氏が作詞した校歌には、その環境を象徴するかのように「空遠く山は澄み松青く波の音する」と歌われている。曲は、高岡町生まれの作曲家海老原直氏。

 2006年9月の竜巻では、180枚のガラスが割れ、センダンの大木が折れるなど甚大な被害を受けた。しかし保護者や教職員の協力で片付け、すぐに授業を再開。約2週間後には運動会を開くなど教育活動を続けた。翌07年1月には、日向キャンプに訪れていたタレントの萩本欽一さんが率いる社会人硬式野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」が同校を訪問。児童と交流し、激励した。

 現在は232人の児童が在籍。地域連携型の教育活動にも積極的に取り組み、18年度には地区が主催して防災運動会を実施。19年度にも、南小、南中と合同で防災活動に取り組むなどしている。


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