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LL サイズ
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1枚 500円 |
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1枚 1,200円
(ラミネート加工は300円追加) |
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延岡土地改良区−日之影昌竜寺で290回忌法要
◆岩熊井堰、出北用水路に着手
延岡市の岩熊井堰(ぜき)と出北用水路の開削に力を尽くした延岡藩の藩主牧野氏の家老藤江監物とその長男図書(ずしょ)をしのぶ290回忌法要が9月29日、日之影町七折の昌竜寺(霊元丈法住職)で営まれた。延岡市土地改良区(原田博史理事長)による法要。翌30日には延岡市出北の出北観音堂で、用水路開削に尽くした監物ら先賢8人の慰霊祭が執り行われた。先賢の子孫や同改良区の役員ら約20人が参列、8人の遺徳をたたえ、感謝の気持ちを新たにした。
日之影町昌竜寺の法要には、延岡土地改良区や出北地区の関係者ら21人が参列。コロナの感染拡大に気を付け、手指消毒やマスク着用などの感染対策を取りながらの法要となった。
一行は、近くにある父子の墓や父子が投獄されたろうを参拝。その後、霊元住職と霊元圭昌副住職の読経が響く本堂で次々と焼香し、監物と長男図書の遺徳に感謝、2人の霊に静かに手を合わせた。
今回は290回忌の節目でもあり、東京在住の藤江家の子孫を招く予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で取りやめに。また、恒例の法要後の直会も中止となった。
法要後、原田理事長が「おかげで出北周辺の田んぼには、水を潤沢に入れることができ、本当にありがたい。区切りの年だが、(感謝を)継承しないといけないと改めて思った」とあいさつした。
□藤江監物(1687〜1731)
延岡藩主牧野貞通の家老。そのころの出北村は広い平野が広がっていたが、当時の土木技術では田んぼとして水を利用することができず、「ひばりの巣」といわれていた。そこで村民はしばしば藩に用水路開削について陳情をしていた。家老職にあった監物の取りなしで、1724(享保9)年に井堰と用水路の工事に着手した。
計画では、取り入れ口は南方村の岩熊とし、全長は五ケ瀬川から12キロにも及ぶ計画だった。監物は江尻喜多右衛門に命じて工事に当たらせた。
無謀の大難工事として非難する者もおり、工事は度重なる洪水などで難航。工事に7万両という巨額を要した。工事途中の31(同16)年に軍用金流用の罪をきせられて、図書、多治見、左膳の親子4人が捕らえられて舟の尾(日之影町)に投獄された。ほどなく図書は獄死。監物も非業の死を遂げた。
出北用水路は、着工から11年かかって、34(同19)年に完成した。なお、監物の次男、三男については罪を免じられ、宮崎陣屋に在職させた。(「宮崎県土地改良史」より)