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「私の台所」今月末で幕・達富信子さんの料理教室

本紙掲載日:2020-08-24
6面

「確かめなきゃ薦められない」信念に50年

◆ガス店経営の夫を支える

延岡市大瀬町の宮崎ガスサービスショップ(達富脩代表)内で、お菓子作り用の器具や材料の販売、料理教室を開いてきた「私の台所」は、今月末で約50年の歴史に幕を下ろす。「私の台所」を立ち上げ、料理教室の講師を続けてきた達富信子さん(81)に振り返ってもらい、思いを聞いた。

 「私の台所」は、宮崎ガスサービスショップ内の一コーナー。お菓子やパン作り用の材料、器具を豊富にそろえ、多い時は400種類以上を展示販売した。そしてもう一つ、親しまれたのが料理教室だった。

 1971年、金属製品を手掛ける「リンナイ」が「コンベック」というガス高速オーブンレンジを発売した。当時で8万〜9万円ほど。25歳で脩さん(89)と結婚後、専務として支えてきた信子さんは「こんなに高価な商品を買ってもらうには、自分がレシピに載っている料理を作ることができるようになってからでないといけない」。商品に付録で付いていた料理本に着目した。

 戦後、生活者の立場から家電の商品テストを行い、結果を掲載することが目玉企画だった雑誌「暮しの手帖(てちょう)」の愛読者でもあり、「実際に自分がやってみないと伝わらない」との思いがあった。

 1年かけて料理本に載っているすべてのレシピを試作すると、ほとんどの料理が本の通りにできた。「これなら間違いない」。確信を持って売り始めた。

 良さを広めようと、コンベックと食材を抱え、各地の公民館で出前講座を行った。今でこそさまざまな場所で料理教室が開かれているが、その頃は珍しい存在。すぐに口コミで広がり、頼まれるたびに各所を回った。

 さらに「教えるための教室がほしい」と、店の2階の倉庫を改修して調理室を作り、月4回開催。メニューを2種類準備し、2回ずつ開く教室には、多い時で1回に20人も参加する人気ぶり。予約はすぐ埋まり「お断りすることが多かった。しょうがないけど心苦しかった」。1年間に少なくとも延べ400人が参加したという。

 回数を重ねるうちに、付録本のレシピだけでなく、信子さんがアレンジしたレシピも提供するようになった。これまでに作った料理は数え切れない。

 特に喜ばれたのがパン作り。今のように作り方が普及しておらず、学ぶ機会は他にほとんどなかった。信子さんも定期的に県外や宮崎市まで通い、学んだ技能を教室生に教えた。

 「本を開いて自分一人で作るのは難しい。一度実際に教わりながら作ることで、家でも安心して作れる」。教室生の様子を見て信子さんは実感した。年齢を重ね、月2回に減らした70歳ごろまで、月4回の開催は続いた。

 教室を通じて培った信頼関係で「(教室生は)長いお付き合いの友達になった。それが私も楽しみで続けてきた」と振り返る。90代になった教室生が店に遊びに来て昔話に花を咲かせることもあり、交流が今も続く。

 時代は変化し、当時は珍しかった料理やパンの教室は身近な存在へ。テレビでも放送されるようになった。

 7、8年ほど前から、辞めることを考えるようになったが、そのたびに「辞めないで」と教室生に引き留められた。開講を楽しみにしてくれていると知り「80歳までできれば」と目標にしてきた。

 昨年目標の年齢を超え、新型コロナウイルスの影響で料理教室を開くことができない状況が続く中で「今が潮時かな」と決断したという。

 「特別なことは何もしていない。ただ、80年のうち50年間を費やした。オーブン料理は自信が付いたし、パン作りを延岡に広めたという自負もある」と控えめに笑った。

 「一緒に料理した時間は楽しく、ただただ懐かしい。よく来てくださったなって皆さんに感謝ですね。おかげで元気に過ごせたと思う」。楽しそうに振り返る50年の日々。感謝の言葉が続いた。

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