【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 200円
▽LL サイズ 1枚 300円
▽A4 サイズ 1枚 800円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は200円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 200円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 300円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 800円
(ラミネート加工は200円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

強風の中、天下一の舞

本紙掲載日:2019-10-15
6面

第23回のべおか天下一薪能・写真特集

 第23回のべおか天下一薪能(てんがいちたきぎのう)は12日、延岡市の延岡城址(し)二の丸広場であった。台風19号の影響が心配されたが、予定通り野外で実施。強い風にあおられながらの熱演に、観客からは大きな拍手が送られた。NPO法人のべおか天下一市民交流機構(松下宏理事長)主催。

 2010年(第14回)以来2回目の公演となった能「海士(あま)」は、自分の命と引き換えに息子の出世をかなえた母と、亡き母を追善供養するために訪ねてきた息子の再会の物語。

 竜王から玉を取り返す場面では、おどろおどろしい海底の様子や強い母の愛を、観世流能楽師シテ方の片山九郎右衛門さんが激しい舞で表現した。息子の藤原房前(ふさざき)大臣役の子方(こかた)は、同市の下沖美乃莉さん=西階中1年=が務めた。

 後半では、竜女(りゅうじょ)の姿となって現れた母が、赤頭三段之舞(あかがしらさんだんのまい)の特殊演出で登場。成仏できる喜びを美しく、爽やかに舞った。

 初公演となった能「景清(かげきよ)」は、現在の宮崎市を舞台とした物語。源平合戦に敗れて流されてきた平氏の武将・景清が一人娘と再会し、落ちぶれたわが身を恥じつつ、かつての武勇を語るさまを、片山さんが切なく勇ましく舞った。

 大蔵流狂言師の茂山七五三(しめ)さん茂山逸平さん親子による狂言「魚説経(うおぜっきょう)」、市内の小学4年生〜高校3年生8人による仕舞と連吟もあった。

 公演後、能「海士」で子方を務めた美乃莉さんは「舞台に立てることに感謝して本番に臨みました。緊張しましたが、成り切って頑張りました」と、ほっとした表情を見せた。

 出演した子どものうち、廣瀬夏海さん=延岡星雲高3年=、川侑海(ゆみ)さん=同=、下沖倫子さん=延岡商業高3年=は今回が最後の舞台になった。

 廣瀬さんと倫子さんは小学4年生から、川さんは同5年生から毎年出演。廣瀬さんは「みんなを引っ張っていくつもりで、これまでで一番気合を入れて練習してきました」、倫子さんは「昨年は屋内での開催だったので、最後に野外の舞台に立ててうれしかった」。

 川さんは「初めて舞台に立った時のことを思い出し、ここから見える景色もきょうで最後なんだなと少し寂しい気持ちになりました。九郎右衛門先生をはじめ、多くの先生たちと出会えたことは私の中ですごく大きいです」と話した。

 また、松下理事長は「台風接近で迷った時、めげそうになった時、まず考えたのは一生懸命に練習してきた出演する子どもたち、ボランティアで会場設営などを手伝ってくれた中学生と高校生のことでした」。片山さんは「きょうは強い風に吹かれましたが、地元の皆さんの熱情を糧に、最後まで演じさせてもらいました」と話した。

その他の記事/過去の記事
page-top