【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 200円
▽LL サイズ 1枚 300円
▽A4 サイズ 1枚 800円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は200円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 200円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 300円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 800円
(ラミネート加工は200円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

再建、そして全国へ事業拡大

本紙掲載日:2019-06-08
7面

「株式会社昭和]創業70周年

◆モニュメント制作でまちおこしに尽力

 1946(昭和21)年に延岡市松山町で「永田鋳物(いもの)工場」として産声を上げた「株式会社昭和」(同市大武町)。幾多の困難を乗り越え、日本の高度経済成長期に、高い技術力を誇る鋳物造りで事業を拡大したほか、地域の景観やまちづくりにも大きな貢献をしている。同社の足跡を振り返った。

◇昭和21年創業

 黒木山雄会長の父、伝治氏が「戦後復興の一助に」と、同市松山町で立ち上げたのが、前身の「永田鋳物工場」。社名は同町の鎮守・永田神社にちなむ。同社は鍋釜製造により九州内での食生活の向上に大きく貢献した。だが、戦後の混乱期、国の復興を願い、離島に工場進出したことが原因で、莫大(ばくだい)な負債を抱えて一時は倒産に追い込まれた。

 その後、20代で跡を継いだ山雄氏が、62年に「昭和鋳工株式会社」として再出発。独自の経営手腕を発揮し、大阪に工場を設立後は、九州から全国へと商圏を広げた。永田鋳物時代の負債を完済し再建を遂げるとともに、グループ企業数社を育て、現在に至っている。

 75年からは県工業試験場と連携して、素材管理と成形・加工技術に関する共同研究を始め、その成果として数々の実績とノウハウを蓄積。77年には当時の中小企業庁から、輸出向け優秀商品として認定する「優秀商品証書」を授与されるなど、現在に至る足掛かりを築いた。

 グループの中核「昭和鋳工」は、93(平成5)年に現在名に変更。2000年には黒木保善氏が社長に、山雄氏は会長に就任した。

 現在は機械切削加工や精密板金加工から溶接、塗装、組み立てまで一貫製作を得意とする部品加工メーカーとして、また医療機器メーカーとして着実に事業の幅を広げている。

 一方で同社は、鋳工時代からの技術を生かしたモニュメント制作で、長年にわたり全国の「まちおこし」にも力を尽くしている。山雄会長が創業した「昭和装飾金物(現・装研)」は、FRP(強化プラスチック)やアルミニウム材、銅材を使用したモニュメントなどを独自の製法で作り上げ、全国的に知られる。巨大な仏像やモニュメント、デザインを凝らした街灯など、1000種類以上を手掛けた。

◇鉄工団地建設にも尽力

 また、山雄会長は1969(昭和44)年に大武町で計画が始まった延岡鉄工団地の建設にも奔走。当時の黒木博知事が推し進めた「農工併進」の旗印の下、地元工業界の意見をまとめ、現在の延岡鉄工団地協同組合発足にこぎ着けたほか、地権者や農協との調整役を果たして、73年の団地完成に貢献した。

 同組合の専務理事を今年1月まで8年間務めた栗田芳隆さん(68)は、山雄会長について「組合と団地の創生期に、最年少の理事として奔走された。また、園田博典理事長の時代には副理事長として支えた方」と話す。

 用地埋め立て中の71年、「50年に1度」と言われる台風で浸水した際には、山雄会長がさらに1メートルのかさ上げを訴えて実現したことにも触れ、「あの時、もう一段のかさ上げがなかったら、97(平成9)年の大水害で、団地は甚大な被害を受けていたでしょう」と振り返った。


◇永田神社にこま犬を寄贈−地域への感謝を込めて

 昭和はこのほど、延岡市松山町の永田神社(甲斐恒雄宮司)に、こま犬1対を奉納した。日本一の弘法大師像の工事を行った福原石材店(同市高千穂通)に制作を依頼したもので、総大理石造り、高さ2・2メートル。地域の人たちに喜ばれている。

 同社の前身「永田鋳物工場」の名は、同神社にあやかったもの。また、黒木山雄会長自身も松山町出身のため同神社に幼い頃から親しみ、1945年6月29日未明の延岡空襲の時には、ここに避難して、爆撃で燃え上がる延岡の街を見守ったという。

 2017年12月に改築された際、その感謝の気持ちから奉納を計画。神社近くの広場は、地域の人がゲートボールやレクリエーションを楽しめる憩いの場になっていることから、山雄会長はここに同社の鋳物の椅子とテーブルを贈ることにした。また、神社の役員から「神社にはこま犬が欲しい」という声が挙がったことから、加えて奉納することを決めた。

 大作のため発注から1年以上を要したが、今年3月に完成。鋳物の椅子10脚、テーブル5台を併せて奉納し、設置された。

 同町の黒木順一区長は「神社に灯籠はあったが、こま犬はなかった。新しくなった社殿にこま犬を奉納していただいたことで、『参拝者が増える』と住民一同喜んでいる。椅子とテーブルは、さんさんクラブの方に有効活用していただくことで、憩いの場がさらに快適になります」と感謝。

 黒木会長も「私の両親が初代の会社を興して70年余り。私が跡を継いでから苦労も少なくなかったが、多くの方に支えられた。奉納は、そのことを改めて心に刻む意味も込めました」と、感謝した。

 同社は、山下町の今山大師にも同様の椅子とテーブルを奉納した。黒木会長は、今後も県内を中心に、縁のある神社仏閣への奉納を続けるという。

◇経営支えた武士道精神

 山雄会長は、10代から剣の道に打ち込んだ。その熱意は、延岡内藤藩に伝わる「林崎夢想流居合」と出合った30代からさらに高まる。

 1970年、当時の房野博市長に直訴し、市内で初の居合道同好会発足のきっかけを作った。その後、同好会は「延岡錬心会」と改称し、現在も古城町の古城健康館で活動を続ける。88年には「延岡錬心会」の中に、日本で初の抜刀部を発足させた。

 同館3代目代表となった山雄会長は、現在も県剣道連盟居合道・杖道支部長として後進の指導に当たっているほか、同会の高弟は国内はもとより米国、韓国、タイなど海外でも指導に当たっている。

 また、抜刀道との融合で、居合12本の形に合わせて巻きわらを両断する技を編み出し、抜刀道の指導者としても全国に知られる存在となった。その縁で武道を志す外国人の訪問を受け、抜刀道の妙技を披露することもある。

 2000年にはミレニアムを記念して、3日かけて巻きわら2000本切りを達成。人をして「抜刀道の世界ではラストサムライと呼ばれている。年長者がいなくなり、剣客と呼べる人はもう山雄氏しかいなくなった」と言わしめる。

 1961年に跡を継いだ当時、会社は莫大な借金を抱えていたが、幼いころから培った武士道精神を支えに、逃げることなく経営に取り組んだ。その精神は、常に山雄会長の背骨を支えている。

 「居合道とは、刀を帯びた禅である。剣は心なり、心正しからざれば剣また正しからず。剣を学ばんと欲すれば先(ま)ず心より学ぶべし」は山雄会長の座右の銘だ。

その他の記事/過去の記事
page-top