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10月21日にラストゲーム

本紙掲載日:2018-10-18
8面

延岡市ロートル野球連盟−中高年の野球愛育み57年

◆派生チームが全国などで活躍−田中理事長「しっかりと役目を果たせた」

 野球が大好きな中高年が集まる「延岡市ロートル野球連盟」が、解散の時を迎える。昭和36(1961)年11月に第1回大会を開いてから57年、ロートル世代の野球愛を育んできた。21日に妙田球場で行う第113回大会が最後となる。それを前に、過去の試合の様子を役員の思い出話や当時の紙面で振り返る。

◇初代王者は川北軍

 大会がスタートした頃は、野球を楽しむ人たちの〃現役引退〃が早かった。理事長の田中和広さん(75)によると「30歳を過ぎると野球ができなくなっていた」。環境が整備されておらず、プレーする場がなかったという。そこで設立されたのが「延岡市ロートル野球連盟」。当時にしては全国的に見ても非常に珍しい35歳以上を対象にした大会が昭和36年11月19日、岡富中学校で初めて開催された。

 翌20日付の紙面では「トンネル、バンザイ、珍プレイ」の見出しが躍っている。それによると、参加者は41人。市内を流れる五ケ瀬川と大瀬川を基準に、川北軍、川中軍、川南軍の3チームに分かれて総当たり戦で勝敗を競い、栄えある初代王者には川北軍が輝いたようだ。

 しかし、戦評に記されていたのは好プレーではなく珍プレーばかり。「なにさま、出場メンバーが三十五才から六十才といえば、口では大きなことをいっても、体がそれに伴わない、打つほうならマグレということもあるが、守るとなるとそうはいかない、何十年ぶりボールをにぎるといって、キャッチ・ボールもせずに守備につく豪傑もいて、エラー続出」(原文通り)などと面白おかしく紹介。個人賞も掲載しており、中には〃モタツキ賞〃というタイトルもあって楽しんでいたのが伝わる。

 当時20代ながら「人集め役」として最初から携わる顧問の黒木民雄さん(85)は「大会が始まったのは終戦して16年がたち、野球か映画くらいしか楽しみがなかったころ。だから、人を集めるのに苦労することはなかった。兵隊の位が〃物を言っていた〃」と笑う。

◇30回大会の衝撃的見出し

 大会はそれ以降、春と秋の年2回行われるように。昭和40(1965)年8月に西階球場が完工すると、会場は同球場も使用し始めた。同41(1966)年5月2日付の紙面では10回大会の模様を記している。

 見出しは「得点、まさにラグビー的」。結果を見ると、第1試合は川中軍16―10川南軍、第2試合が川南軍13―6川北軍。戦評には「野球をみるというより〃喜劇〃をみるような抱腹絶倒の珍プレイ続出。西階球場はじまっていらいのお笑いゲーム」とあり、〃ほほえましい試合〃だったことが想像できる。第3試合は降雨コールドで、大会は史上初の優勝預かりとなったようだ。

 第30回記念大会を紹介した昭和51(1976)年6月14日付の紙面の見出しは衝撃的。「爺が孫にまた負けた」。アトラクションの一つでロートル選抜が少年野球チームと対戦、0―15で負けたことを冗談を交えて伝えている。写真は、ストライプの入った赤いユニホームを着用しているロートル選抜軍の中心選手6人が納まった1枚を使用。

 実はこのユニホーム、還暦を迎えた選手にのみ与えられる大会独自のもので、胸には生まれた時のえと、背番号は生まれた西暦の下2桁が入る。「背番号が一緒の人ももちろんいた。全国でも話題になったユニークなユニホーム」と黒木さん。

 また、この紙面では大会のオリジナルルールを掲載。「参加した全員が年齢順に立てる」などと記している。副会長の中平裕三さん(84)は「60歳以上の人の打球がフェンスに届いたらホームランになるルールもあり、そういうのが試合をさらに面白くした」と振り返る。

◇ついに迎えた100回目

 大会は昭和61(1986)年4月13日、50回目となる。翌14日付の紙面では「青春の夢を追いつつ50回」の見出し。各選手の打撃成績を示した表はフルネームで、年齢、職業まで入れて紹介している。30回大会同様に記念アトラクションの一環で少年野球チームと対戦しており、0―11で完敗。「孫に勝ちをゆずったよ」の見出し。〃和気あいあい〃さが伺える。

 そして、平成23(2011)年5月1日、ついに100回目を迎える。連盟も創立50周年。翌2日付の紙面では3、9面で大きな節目を伝えている。

 3面では、1回大会から出場し、この日も参加してプレーした黒木清さん(当時90歳)と妻・幾代さん(同62歳)にスポットを当てている。2人は〃夫婦バッテリー〃として大会を沸かせてきた。幾代さんは「1年に2回の大会だけど待ち遠しいくらい楽しい」、黒木さんは「100回大会に出場できたのは妻のおかげです」とコメントしている。

 同じ紙面ではまた、節目の大会恒例の少年野球チームとの勝負の模様も。3―2で接戦をものにしており、対戦した児童の「すごい年齢なのにけっこう動けていてすごかった」と驚いている感想が紹介されている。

 9面は大会結果と写真特集。走攻守にハッスルプレーする姿や笑顔の選手を多数掲載。時代が変わっても「野球が好きでたまらない」という思いだけは変わらないことを証明している。

◇参加者減少、解散へ

 大会を始めた当初は存在しなかった35歳以上の大会も増え始め、市内にも40代〜70代の各世代のチームが誕生。その影響もあって近年は大会参加者や入会者が減少し、運営が厳しくなってきたことが「解散」の主な理由だ。

 それでも田中さんは、連盟から派生したチームが九州や全国で活躍していることを挙げ、「しっかりと役目を果たせた。50年以上よく続けてきたと思う」と活動を誇り、「最後はきれいに終わりたい」と話した。

◇「1人でも多くの人に」

 最後の大会は妙田球場で午前9時から開会式、同9時30分から試合を開始する。事務局の藤縄豊さん(74)によると、現在の会員登録は108人で、平均年齢は70歳。「一人でも多くの人に参加してもらいたい。どなたでも参加できますよ」と役員。参加資格は45歳以上で、女性は年齢不問。夜には〃ナイター〃と称した恒例の懇親会も旬鮮工房「源太」(北小路)で開く。

 112大会までの成績は川北軍57勝、川中軍26勝、川南軍25勝(優勝預かり4大会)。さあ、有終の美を飾るのはどのチームか。結果にも注目したい。

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