【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 200円
▽LL サイズ 1枚 300円
▽A4 サイズ 1枚 800円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は200円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 200円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 300円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 800円
(ラミネート加工は200円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

大相撲、51年前に新入幕を果たした力士

本紙掲載日:2018-07-13
11面

延岡出身の戸田、のち羽黒岩−最高位は小結敢闘賞1回受賞

◆昭和44年3月場所、大鵬の46連勝止める−世紀の大誤審・一躍、時の人に

 琴恵光の入幕は延岡市内に限って言えば郷土の大先輩、元小結羽黒岩(戸田、立浪部屋)以来、51年ぶりの快挙だ。昭和42年1月に入幕し、10年近くも幕内で活躍、好成績を残した。故障し十両に陥落、53年1月場所を最後に引退した羽黒岩の足跡をたどる。

 羽黒岩、本名は戸田智次郎。長く本名の戸田で土俵に上がったため、戸田というしこ名に親しみを持つ人も多い。

 その戸田時代だった昭和44年3月場所2日目。世紀の大誤審といわれた一番の当事者となり、一躍、時の人に。また、その後にビデオ判定の話題になると、必ず戸田の名前が挙がることになった。

 その一番の相手は大横綱、45連勝中の大鵬。誰もが大鵬の46連勝を期待していた。当時、大鵬がもし負けるとしたら勢いのある突き押し相撲、そして初顔の平幕ではないかと言われていた。その突き押しが得意で平幕、初顔合わせとなったのが戸田だった。

 戸田は立ち合い一気にぶちかまし、喉輪で大鵬を東の土俵際に押し込み、俵に添って後退する大鵬をそのまま土俵正面側に押し出した。軍配は大鵬に。しかし、物言いが付き、審判の一人が戸田の足が出ていたと主張したが、結局は行司差し違えで戸田の勝ち。大鵬の大記録は45連勝でストップした。

 しかし、テレビのビデオでは、はっきりと戸田の右足が土俵外の砂を跳ねているのが確認でき、「世紀の大誤審」とまで言われ、写真、ビデオ判定を採用するきっかけとなった。

 この時、見事だったのは大鵬の態度。「ああいう相撲を取った自分が悪い」とだけ言って文句も言い訳もしなかった。しかし、ショックが大きかったのか、大鵬はこの一番で体調を崩し、3月場所は休場に追い込まれている。

◇金星、大鵬と柏戸から一つずつ

 ちなみに戸田が大鵬と戦ったのは、44年に5回、45年と46年に1回ずつ、通算7回。勝ったのは44年3月場所の初顔合わせの一番だけ。この後は6連敗している。

 金星は大鵬と柏戸から一つずつ。ちなみに大鵬とは1勝6敗。柏戸との対戦は1勝1敗。金星の一番は大鵬に勝った翌場所の44年5月場所だった。


◇初土俵は昭和36年5月−幕内通算55場所、385勝

 初土俵は昭和36年5月場所。21年6月30日生まれだったから15歳になる直前、14歳のデビューだった。

 序二段は7場所で通過し三段目に上がったのが、昭和37年11月場所。三段目では1度だけ負け越しただけ、わずか5場所で幕下に昇進した。幕下でも負け越しは1度だけ、13場所で通過し、19歳だった40年11月場所、つまりご当地の九州場所で新十両となった。

 十両になるとさらに実力を発揮、6場所連続で8勝7敗、西十両2枚目で迎えた11月場所で11勝4敗の好成績を挙げ「敢闘賞」に輝いた。

 翌42年1月場所、若干20歳で新入幕を果たした。延岡からの入幕は江戸時代に活躍した友綱(1839年10月入幕)、三つ鱗龍八(1844年11月入幕)以来。実に123年ぶりの快挙だった。

 幕内在位は通算55場所。
▽入幕=42年1月場所〜11月場所(6場所)
▽十両=43年1月場所
▽再入幕=43年3月場所〜49年11月場所(41場所)
▽十両=50年1月場所〜51年3月場所(8場所)
▽再々入幕=51年5月場所〜52年7月場所(3日目に首を痛め休場、8場所)
▽十両=52年9月場所(休場)〜53年1月場所・引退(3場所)
最高位は小結。東前頭7枚目で敢闘賞を取ったた44年1月場所に11勝4敗を挙げ、翌3月場所に昇進した。

 幕内通算成績は385勝427敗13休(55場所)。生涯成績は626勝623敗35休(100場所)。

 しこ名は入門から本名の戸田で土俵に上がり、幕内を27場所経験した後の初土俵から通算57場所目の46年1月場所から羽黒岩に改めた。身長は177センチ、128キロ。現在の相撲界ではやや小柄な部類になる。

 現役引退後は雷(いかづち)親方となり、定年の平成23年6月まで務め、協会を退職した。のち体を悪くし、28年10月23日に日南市で亡くなった。70歳だった。

その他の記事/過去の記事
page-top