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演劇「うまれたまちで」公演を前に(2)

本紙掲載日:2018-07-03
7面

こはるさん(延岡高校3年)インタビュー

◆特攻隊長の妹を演じる17歳−「同世代の人たちに見てほしい」

 延岡高校3年生で17歳のこはるさんは、特攻出撃した兄への思いを募らせる当時17歳の少女を演じる。この舞台を通して、こはるさん自身も戦争について調べ、平和について考えてきた。「同世代の人たちに見てもらいたい」と張り切る彼女に、その思いを聞いた。

−−初演となった今年2月の宮崎公演でも同じ役で出演しました。戦時中を生きた少女を演じるのは難しかったのではないですか。

 初めて脚本を読んだ時は、特攻で亡くなった黒木國雄さんとご家族のことは全く知りませんでしたし、6月29日が延岡大空襲の日だということも初めて知りました。今は平和でのどかな暮らしをしているけど、過去にはそんなことがあったんだと分かりました。

 第2次世界大戦については歴史の授業で学びますが、延岡のことを学ぶ機会はあまりありません。もっと積極的に地元のことを知ろうという意識もありませんでした。役づくりを進めても空襲のイメージが分からず、雨のように爆弾が降っている映像を見ても、自分の街が燃えたり、住んでいた家が燃えていくというのを思い浮かべることは難しかった。

 2月の宮崎公演前に、この演劇のモデルとなった黒木家の次男・黒木民雄さんから「折れた軍刀」を実際に見せていただきました。そして、民雄さんから話を聞いていくうちに、他人事ではないと感じるようになりました。


−−こはるさんが演じる敏子は、今のこはるさんと同じ17歳ですね。

 私が演じるのは、延岡市出身の特攻隊長の妹で当時女学生だった敏子です。敏子の生きた時代は学校にも行けず、「お国のために」って工場で働きます。モデルになった美智子さんは成績が優秀だったので、特につらかっただろうなって思います。そして、自分をかわいがってくれたお兄さんが自ら命をささげるようなところに行くというのは、すごくつらかっただろうなと思います。

 今、私と同世代の人たちにとって戦争って漠然としたものになっているような気がします。日本で戦争が起こっているわけではなく、テレビの中の出来事ぐらいに思ってしまう。戦時中に自分と同じ10代の子たちが、どういうことをしていたのかを知ってもらえるよう精いっぱい頑張りたい。


−−こはるさん自身もたくさん学んでいるということですね。

 この演劇と出合って、小学校の修学旅行で鹿児島県の知覧特攻平和会館に行った時のことを思い出しました。特攻隊員の手紙や軍旗、戦闘機を見て、戦争の恐ろしさが伝わってきて、その時も「今が当たり前ではない」ということを感じました。

 中学3年では「平和」をテーマに作文を書く課題があり、東京に住む祖父に電話して戦争体験について聞きました。友人の後頭部に爆弾が当たったのを見ていたそうで、「目の前で親友が殺されたんだ」と話してくれました。思い出すのはつらそうで、私も考えられないような時代が本当にあったんだと、ゾッとしました。

 戦争は人が人の命を奪っていきます。恨みがあってというわけでなく、国の利益のために人が人を殺すし、何も悪いことをしていない人たちがたくさん亡くなっていくことは怖い。人の命というものをそんなに軽く見ていいものではないのかなと思います。

 舞台の中で、その当時ならではの複雑な思いを描くシーンがあります。そのシーンを見てもらって、戦争を知るきっかけになったり、自分で調べてみようと思うきっかけになってもらえたらうれしいです。


◆私たちの務め−黒木民雄さん(84歳)延岡市北町

 最近、延岡の遺族会が解散したことで報道関係の若い記者から「どう思われますか」との取材を受けました。

 戦後、母が健在の時は、遺族会の役員として、戦争未亡人などのお世話などを懸命にしていましたが、私は毎年、市の主催で5月5日に開かれる戦没者慰霊祭に参加するぐらいでしたので、遺族会のことはあまり詳しく知りませんでした。

 戦後73年になり、父親が戦死されて戦後に生まれた遺児の人たちでも既に70歳半ば。遺族会解散の取材に「後継者がおられないのではないでしょうか」と答えましたが、今、延岡市立図書館で開催されている第15回平和祈念資料展の正面に掲げてある主催者の「ごあいさつ」を読み、私たちの務めを再認識しました。

           ▽         ▽

 昔、今は亡き祖母が語ってくれました
「じいちゃんは、一人遠い戦地でなくなった」と。
昔、今は亡き父が語ってくれました
「空襲に怯(おび)え、火の海の中を逃げた」と。

 第15回平和祈念資料展では、延岡空襲に関する資料や証言を展示しております。戦争の時代の記憶が薄れつつあると言われる今日ですが、この資料展が、あの時代を振り返り、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継いでいく場となれば幸いです。

 今、戦争について語らねばならないのは、祖母の悲しみの記憶、父の恐怖の記憶を受け継いだ私たちです。

 今の若者たちのためにも。

           ▽         ▽

 この文章を読み、父と母の姿を思い出しました。

 戦時中、息子が戦死した時、「名誉の戦死おめでとうございます」と訪れる弔問客の前では涙を見せることもできず、「ありがとうございます」と忍ばねばならなかった母。出撃の前夜、知覧の三角兵舎で枕を共にし、翌朝出撃の時、2時間後には戦死する息子を「お国のためにしっかりやれ」と気丈に見送った父が戦後、別人のように気弱になり、復員兵の車が通るたびに、もしやと車の後を追って、「今のは國雄に似ちょった」と戦死したはずの息子の姿をいつまでも追い求める父−−。

 戦争の悲惨さを嫌というほど体験し、当時は異常な時代だったと、今の平和の尊さを後世に伝えることこそ、われわれの年代の者の務めだと痛感しました。

 幸い延岡では、やがて80年前になる出来事をどう理解していいのか苦闘しながら若い演劇人が戦争の悲惨さを伝えたいと創作劇「うまれたまちで」の稽古に懸命に励み、若い報道関係者が取材しています。

 遺族会は途絶えても、その人たちの思いを二度と繰り返さないため、若者たちの取り組みをできるだけお手伝いすることが、戦争の悲惨さと、併せて平和の尊さを体験している者たちの務めだと思っています。

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