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“奇跡”の高校球児−延学3年・打撃投手の松本君

本紙掲載日:2018-03-27
3面
打撃投手を務める松本悠吾君

幾度もの大手術乗り越え支えた仲間を積極サポート

◆「強豪校で野球をやっているとは」驚く医師ら

 第90回記念選抜高校野球大会に出場する延岡学園で、貴重なサウスポーとして、打撃投手を務める松本悠吾君(3年)。その姿に、幼いころから治療に当たってきた医師らが「6歳まで生きていられるかという状況だった。強豪校で野球をやっているとは。夢ではないか」と仰天するという。まさに〃奇跡〃の高校球児だ。

 悠吾君は奈良県葛城市の出身。父の敏さんによると、「生まれた時からから特に頭蓋骨は深刻で体力が付く1歳になるのを待って大手術を受けた」。2歳になるまでに大きな手術を何度も受けてきた。医師の説明は「前例のない病気。生きるためにまずは頭部の手術が最優先」だった。

 当時、母の友美さんは必死に看病し、病気やリハビリについても懸命に学び、ひたすら前向きに世話をしていた。悠吾君が小学生になったころ、一生懸命に看病する友美さんを見ていた医師からは「正直、(治療は)何から手を付けていいか分からない状態だった。6歳までどこに何の障害が出てもおかしくなかった」と明かされた。医師団の努力、両親ら家族の愛情、本人の生命力もあっただろう。「みんなと一緒に小学生になれた」と敏さん。

 そして、小学2年の夏、野球と運命の出合いをする。友人と野球を見に行ったのだという。

 すぐに敏さんに「したいねん」とねだった。敏さんはチームを探したが、リスクを恐れて断られたところもあった。ようやく、葛城ジュニアファイターズが「必ず保護者が付き添うこと」という条件で入部を認めてくれた。

 中学では硬式野球の御所南都クラブでプレー。そして延岡学園に入学することになる。

 友美さんのいとこの河野友治さんが平成6年の夏、延岡学園の捕手として甲子園に出場していた。だから敏さんと友美さんは「悠吾が生まれる前に甲子園で応援した学校なので、(悠吾には)すり込むように延学のことを言ってました」。

 悠吾君自身は中学2年の夏に甲子園準優勝をテレビで観戦していた。本人の「(延学に)行きたい」と「親元から離れ、自立してほしい」という両親の思いが一致。学校側からも「受験に合格していただければ、野球部への入部も可能です」と返答を受けた。

 入学したものの、1年の夏には腰椎分離症になり、治療でしばらく帰省した。これが一つ目の大きな転機となった。敏さんは「近くに帰ってきてもいい」と野球部が受け入れてくれる転校先を関西に準備していた。

 しかし、悠吾君を踏みとどまらせたのが、延学の仲間だった。家族にとっては覚悟の帰郷だったが、本人は「みんなに『絶対帰ってこい』と言われ、うれしかった」。帰省中も携帯電話に「何してんの」「早く帰ってこいよ」―。メッセージをいくつも受け取り、「3年間やり通す」ことを決意。再び家族と約束し延岡へ向かった。

 普段から仲間と支え合ってきた。投手の上野元基君は「自分も最初は走るメニューに付いていけなかったから、『一緒に頑張ろう』と声を掛けていたが、特別なことではない。ぼくたちはみんなで乗り超えてきた」。

 この冬、敏さんと友美さんに同級生の保護者から信じられない連絡が入った。「悠吾君が20キロ走りきりましたよ。最後はみんなで迎えに行って…」。

 敏さんはその時まで悠吾君に隠していたことがあった。

 「日常生活に問題はないが、実は呼吸器系に疾患が残っている」ことだった。だが、「本人に伝えて、それを理由に最初から諦めさせることだけはしたくなかった」という思いで伝えていなかった。

 悠吾君自身は、ずっと長距離走が苦手という思いだった。延学では同級生のレベルも高く「きつかった」。自分の状態を知らないため、「いつか追いつけるように」と思っていたという。

 「20キロ完走」。それを聞いて敏さんはようやく呼吸器系の疾患を伝えることができたという。

 大阪入りし、対戦相手が左腕投手を擁する国学院栃木に決定。悠吾君は貴重な左腕として「しっかり厳しいコースに投げ込み、打撃の練習になれば」と投げてきた。

 その悠吾君に23日の練習中アクシデントがあった。打撃練習のマシンに球入れをしていると、打球がネットに跳ね返り顔面に直撃。大量の血が流れた。病院で8針を縫った後、すぐに宿舎に戻り、翌日には打撃投手に復帰した。

 それには理由があった。「その打球は(エースの上野)元基が打ったもの。動揺して投球などに影響があったらいけない」と思ったからだ。敏さんが「三浦(正行)監督になって、より積極的に自分の居場所を求めるようになっている」という言葉通りの行動だった。

 上野君は「悠吾が最後まであきらめず走り、積極的にサポートしてくれる姿は本当に励みになる。延学は『悠吾のチーム』と言ってもおかしくない」。

 敏さんは「今の状況は本当に信じられない。一番はチームメートに感謝。これまで親としてもポイント、ポイントで感謝という言葉を教えてもらっている」。

 これまで治療に当たった医師、少年野球時代の監督、幼いころを知る誰もが、延学の一員として甲子園にやって来た悠吾君にびっくりし、顔を合わせるのを楽しみにしているという。

 悠吾君は「自分にできることを探し、やりきるようにやってきた。春はメンバーに入れなかったので、夏入れるように頑張る」と前だけを向き、チームのために左腕を振り続けている。

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