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センバツ出場濃厚−富島・延学、両監督に迫る(下)

本紙掲載日:2017-12-26
1面
延岡学園・三浦監督

「最後の孝行」−延学・三浦正行さん(60)

◆社会人からプロ、指導者の道へ

 監督に就いて2カ月弱で、センバツ当確の九州ベスト4へ導いた。「プロ野球という夢もかない、いい野球人生を過ごしてきた。もう一つの夢だった高校野球の監督として、お世話になった方々に恩返しがしたい」。66歳。故郷の秋田から遠く離れた宮崎で野球人として「最後の孝行」に挑んでいる。

 182センチ、104キロと堂々の体格。一方で「打て」「飛ばせ」「そうだ」―。選手への語り口は柔和で、選手たちも練習中、笑顔が絶えない。

 秋田市の出身。同居していた叔父とのキャッチボールが野球との出合いで、地元の少年野球チームへ。中学校は、学区外の強豪校を選んだ。

 「入学後、少しいやになって、1週間ほど練習を休んだ時に厳しかった母に『何のためにこの中学に行ったんだ』と叱られた」

 それが捕手一筋のスタートだった。「投手もしたかったが、部に戻って一番レギュラーに近かったのが捕手」。県4強などの実績を残し、強化がはじまったばかりだったという秋田市立高(現県立秋田中央高)へ進んだ。

 入学直後の春から捕手としてベンチ入り。主将で6番打者だった3年の夏は、初戦の2回戦で強豪校に敗れたが、大学や社会人野球から多くの誘いを受けた。

 「当時の大学は上下関係がすごく、自分なら歯向かってしまうと思った。一方、社会人は最盛期でもあり、部員全員がベンチに入れる環境だった」

 電電(のちのNTT)北海道に入社。6年間で都市対抗には4度出場、もう一つの日本一を争う「日本産業対抗野球大会」では準優勝も経験した。

 入社5年目の昭和49年秋のドラフトで大洋(現横浜DeNA)からドラフト6位指名。だがその年は都市対抗出場を逃しており、「監督やチームへの恩返しが済んでいない。自分の力でもう一度、都市対抗に出てから」。4番捕手として全国に導き、翌秋のドラフト直前、晴れて大洋に入団した。

 プロ野球選手としては「6年プレーし、1軍では60試合弱。ほとんど実績は残せず、引退後は秋田に帰るつもりだったが、球団が職員の道を残してくれた」。2軍のバッテリーコーチを皮切りにスコアラー、1軍のバッテリーコーチ、2軍の育成コーチなどを60歳まで務めた。

 「選手のころよりも、野球をやっていく上でのノウハウを覚えた」。球団からの派遣で中国、韓国のプロチーム、タイ代表のコーチも経験。帰郷後の平成25年、元プロ野球経験者が学生野球を指導する制度の第1期生として資格を取得し、コーチとして2年間、母校の後輩を指導した。

◆野球は確率と状況判断のスポーツ

 「指導した選手では三浦(大輔投手=元横浜)と内川(聖一外野手=現ソフトバンク)。2人とも絶対に人に負けないという気持ちがあり、自分で練習ができた。現役のころでは、打者は掛布(雅之内野手=元阪神)の引きつけていつまでもバットが出てこない打撃がナンバーワン。ストレートなら山口(高志投手=元阪急)に江川(卓投手=元巨人)。受けた投手では、遠藤(一彦投手=元大洋)のフォークに平松(政次投手=同)のシュートがすごかった」

 今も夜の自主練習の時などに、この目で見たプロの世界を選手たちに伝えている。

 延岡学園との縁は、内川選手の依頼を受けて日向市での自主トレを手伝っていたことから。「最初は(選手の)打撃を指導してほしいということで、見た瞬間からいい選手がそろっていると感じた」。夏に数日間指導し、秋は1カ月ほど指導した。

 監督就任を依頼され迷っていた背中を押したのは、妻悦子さん(63)だった。社会人時代、応援団のマネジャーと選手として出会い、連れ添ってきた妻にはすべて分かっていた。

 「野球が好きなんだからしょうがない。またユニホームを着て、野球ができるならやってみれば」

 実家の秋田市に2人で住んでいたが、妻を残して選手とともに寮暮らし。今は膝や腰に不安を抱える夫を気遣い、毎日電話がかかってくるという。

 選手たちにいつも話すのは「野球は確率と、状況判断のスポーツ。日常から状況を判断し、行動できるように」ということ。春を前に、「特に2年生は本当にすごい選手がそろっている。今まで携わった方々のおかげ。甲子園が決まったら、行くだけでなく、勝ちに行きたい」。

 趣味はゴルフ。専ら80代で回るが、11月末に半年ぶりにクラブを握ってラウンドし、「めちゃくちゃだった。スポーツは練習ですね」。長男(41)と次男(36)がおり、7歳から2歳の女の子の孫3人がいずれも横浜市に住む。

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