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ルポ・被災地を走る−気仙沼、陸前高田、大船渡

本紙掲載日:2017-12-12
3面
気仙沼から乗り換えたBRT車窓からの景色。再建のため、あちこちに多くの資材があった
大船渡駅の目の前に広がる景色。手前の更地とは裏腹に山近くの高台は住宅がきれいに残る
陸前高田市の奇跡の一本松。建物はユースホステル。震災以前から休館中で人的被害はなかった

大地震から6年まだ−癒えぬ人、まち

◆それでも前を向いて

 気仙沼、陸前高田、大船渡―。平成23年3月11日に発生した東日本大震災以来、よく耳にするようになった岩手県や宮城県のまち。あれから6年。九州、宮崎には現地の今を知らせるニュースが届くことはあまりない。たまたま現地に行く機会があり、11月28日、被災地に入った。

 宮崎、東京を経て、同日の朝、岩手県の内陸部にある一関市のJR一ノ関駅に着いた。厳しい寒さを覚悟して行ったが、風もなく想像以上に暖かかった。一ノ関駅からは各駅停車の大船渡線に乗車。直線距離だと約45キロ先の海岸へと向かった。

 コトン、コトンと心地良いリズムを刻み進む2両編成の電車。少し遅れてやって来た秋に染まる田舎の風景がゆっくりと通り過ぎていく。「内装がまるでTR(廃線になった高千穂鉄道)みたいで懐かしい」と同僚。窓から優しい光が差し込む。

 電車に揺られ約1時間15分たったころ、同市室根町の折壁駅近くで仮設住宅が急に姿を現した。何事もない普段の生活を感じる景色が続き、何も感じてはいなかったが、電車は「被災地に向かっていた」ことにハッとさせられた。

 宮城県の気仙沼駅に到着。ここからは先に行けば行くほど景色は宮崎で見る日常とは違っていた。あれから6年。その時間が長いのか、短いのか−。車窓から現実を見せつけられ、現地の人の苦労、不安な思いをさまざまに想像した。

 気仙沼駅からはJRが運行するバス「BRT」(バス高速輸送システム)に乗り換えて岩手県大船渡市を目指した。

 震災で同駅以降の約44キロ区間は不通となった。BRTは平成25年3月から導入された新しい公共交通機関。鉄道の軌道を舗装したバス専用道を走り、電車同様に踏切や信号機などがある。当然ながら一般車両より所要時間は短く正確だ。

 気仙沼駅から走り出しすと、復興の現実を見せつけられた。まちに色はなく、広がっていたのは茶色だけだった。スーパーマーケットやパチンコ店はあったが、生活感を感じることもなく、ただ平野のみが広がっていた。

 そしてそこにいたのは、作業着姿の人であり、同時に重機がせわしく動いていた。周囲には新しい電柱がいくつも立ち、それだけが目立っていた。
海沿いのまち陸前高田市に入った。あの日、まちを襲った海は穏やかに広がっていた。

 3階建てのぼろぼろの建物が視界に入った。サッシ窓は全てなくなり、枠だけが見えた。津波がのみ込んだ気仙沼中学校だった。校舎は電気コードがむき出しになっていた。がれきもそのままの状態だった。外壁には「ぼくらは生きるここでこのふるさとで」の垂れ幕が下がり、「気仙中学校生徒会」の文字が見えた。

 近くには有名な「奇跡の一本松」があった。眺めていたときに雲間から光が差した。被災地に元気を与えるかのように照らしているように思えた。

 BRTはさらに進む。かさ上げ工事中の広大な更地、プレハブの陸前高田市役所、海と生活空間を隔て、囲むように造られた海岸の堤防−―。震災の傷跡、自然の恐怖を思わせる景色が次々に車窓を流れていく。完全復興にはまだほど遠い状態だった。

 BRTは途中、山の中を走る。そのため、津波被害から免れた所、小学校や田園などのどかな風景も見ることができた。まちでも大型ショッピングモールなどが次々に開業していた。

 一ノ関駅を出て電車とバスに揺られて約3時間、大船渡駅に着いた。

 かさ上げ工事中は多少あるが、新しい大船渡の姿が見えつつあった。昼食で入ったラーメン店は新しい建物独特の香りがし、店内は多くの人がいて活気付いていた。

 「以前の姿ではありませんが、今までなかったお店もたくさん進出してきています。まちづくりも最終段階に入り、まちの形が見え始めてようやく住民も前を向けるようになりました」と地元新聞社の人が教えてくれた。

 もちろん被災した人々の心の傷が癒えるわけはない。「あの日に着る物から何から失ってしまいましたからね。だいぶ少なくなりましたが、まだ仮設住宅に入っている人もいますし」。津波に家をのみ込まれたというタクシーの運転手が今日までの日々を振り返ったが、どう声を掛けていいのか分からなかった。
(小野友貴人)

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