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百歳迎える延岡の図書館(上)

本紙掲載日:2017-10-19
7面
大正7年7月12日に開館した宮崎県立延岡図書館
「伽藍堂の延岡図書館」と報じた日州新聞、大正8年11月15 日付

大正−昭和−平成、一世紀の歩み振り返る

◆大正7年県立図書館として誕生−場所は現在の野口記念館北側

 延岡の図書館は大正7(1918)年7月12日、宮崎県立延岡図書館として開館、来年100周年を迎えます。現在の4代目図書館は今年が開館20周年。1世紀前とは比べものにならないほど市民から利用されています。ここに至るまでの大正から昭和時代、建物全焼や戦時体制での接収などの中でも市民の知る自由を保障し、生涯学習の拠点としてさまざまな情報を提供し続けてきた延岡の図書館の歩みを2回にわたり振り返ります。

◆明治時代に新聞縦覧所

 宮崎県立図書館百周年記念誌によると、明治前期に〃公共図書館的〃な役割を担ったのは「新聞縦覧所」だった。これは「封建体制から解放された民衆が、自ら情報を収集したり、新しい知識を獲得したりするために、新聞や書籍を集めて供覧することを目的とした施設」だったという。

 宮崎県は明治6(1873)年、公設の新聞縦覧所(展覧所)を現在の宮崎市に3カ所設ける通知を出す。明治11(1878)年の朝野新聞は、延岡の元町にある岩崎屋(谷仲吉)が縦覧所を置いた、と報じている。

 10年後の明治22(1889)年、宮崎新報は「柳沢町の有志者は今回相謀(あいはか)りて同町に一つの新聞縦覧所を設け種々の新聞雑誌を備置き広く縦覧を許す由なり」と報道した。現在の延岡市柳沢町に私設の縦覧所を設けた有志者とは誰で、どのような新聞や書籍が提供されていたのかは不明だ。

 県内初の公共図書館として宮崎県立図書館が開館したのは明治35(1902)年5月28日、場所は現在の県庁南側だった。京都、秋田に次ぐ全国で3番目の県立図書館だった。

◆「赤い鳥」と同じ月

 延岡の図書館は大正7(1918)年7月12日、県立延岡図書館として誕生する。この月は、北原白秋らが子ども向け雑誌「赤い鳥」を発刊。また、シベリア出兵、米価暴騰による米騒動が全国に広がった。延岡でも8月に「群衆が米屋を襲撃」という時代だった。

 現在の野口記念館北側に新築され、前面が一部2階建て、奥に閲覧室兼講堂があり、別棟に書庫1棟があった。

 宮崎県立図書館の「100年のあゆみ」資料集によると、延岡図書館開館の前年に日州新聞は、同館の建築費の一部が「旧藩主たる内藤子爵家から寄付せられることになっている」と報じ、「内藤家の美挙」とたたえる記事を掲載。「県民は多大の感謝を払うと同時にこの図書館を活用することを心掛けねばならぬ」と促している。

 にもかかわらず延岡図書館は開館当初、あまり利用されなかった。

◆「知識欲に乏しい」

 開館1年後の大正8(1919)年11月、日州新聞は「伽藍堂(がらんどう)の延岡図書館 知識欲に乏しい」という記事を掲載。厳しい内容だ。(以下、一部現代表記)

 「秋闌(た)けて頭脳明快となり思索湧然(ゆうぜん)、起(た)って燈下(とうか)親しむ秋の季節となっても、一般に知識欲に乏しい延岡人だけあって読書趣味は一向に旺盛を加えず県立延岡図書館は伽藍堂のような静けさ。このごろの秋の物寂しさと同じで、広い清浄な閲覧室にただ訪れるものは透徹した秋風がガラス窓をかすかに揺るがすのみである」

 「一体読書欲や知識欲に乏しい延岡人の通有性として図書館の有難味(ありがたみ)が分からず、精神上生活上共に単調空虚の苦痛も嘗(な)めず頗(すこぶ)る呑気(のんき)に悠閑(ゆうかん)な生活を送っているに不思議はないとしても折角(せっかく)精神の向上にと時代進運に併行するために設けられてある図書館なのだから、今少し利用する途(みち)ぐらい考えてもよかりそうなものである」

 「延岡人が新時代の新知識を吸収しない結果として、いつまでも因襲(いんしゅう)固陋(ころう)に膠着(こうちゃく)し産業方面でも教育方面でも萎靡(いび)甚だ振るわず、常に停滞か、左(さ)なくば退歩状態にある一原因は図書館等を利用せぬからだとも肯定される。それほど延岡人は図書館と没交渉である。ことに婦人の閲覧者ときては根っから皆無で、2日にようやく1人の平均であるとは心細い」

◆蔵書展覧会

 図書館は大正末期から昭和初期、秋の読書シーズンに合わせて住民の利用を促進する行事を展開する。

 大正14(1925)年10月の宮崎新報には、県立延岡図書館が「図書館デイ(日)」に「おとぎ講話会」を開催。県立都城図書館は「書庫を開放して閲覧させる図書展覧会」を企画という記事が掲載された。
 
「図書館記念日」が制定された翌年の昭和9(1934)年11月、延岡図書館は全国図書館週間に合わせて1週間にわたり「蔵書展覧会」を開いた。
 
 このころの図書館は、今のように利用者が本棚から自由に本を手に取って選ぶことはできず、図書館の蔵書を市民が直接見ることのできる展覧会は〃特別企画展示〃だった。「西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視、三條実美など図書館協議会推薦による図書」を展示したという。

 スローガンは「親しめ読書」「読書の相談は図書館」だった。

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