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岩熊井堰を開削・藤江親子の遺徳に感謝
本紙掲載日:2017-10-10
2面

昌竜寺で営まれた監物忌法要
藤江監物ら8先賢の遺徳をたたえた慰霊祭

287回忌の法要営む−日之影町・昌竜寺

 旧延岡・牧野藩の家老で、岩熊井堰(いぜき)の開削に生涯を懸けた藤江監物と、その長男・図書(ずしょ)の遺徳に感謝をささげる「監物忌法要」が6日、藤江親子が獄死した日之影町七折舟の尾にある昌竜寺(霊元丈法住職)で営まれた。翌7日には監物をはじめ、共に延岡市の農業用水事業に多大な功績を残した郡奉行・江尻喜多右衛門ら8先賢の遺徳をたたえる供養祭が同市出北の出北観音堂であった。いずれも市土地改良区(原田博史理事長)が毎年この時期に開いている。

 287回忌に当たる監物忌法要には、延岡市や日之影町から関係者約150人が参列し、霊元住職の声に合わせ参列者も一斉に読経。原田理事長に続き市土地改良区の役員、参列者たちが焼香し、静かに手を合わせた。

 原田理事長は市土地改良区を取り巻く状況や農地の集約計画などについて報告した後「藤江親子には約290年も前、水のない出北に水を引くために用水路を開削していただきました。このような法要が続いていることが土地改良区としても本当にありがたい。皆さんに損得抜きで続けていただいていることに感謝します」と述べた。

 法要後は「出北旧ばんば音頭を伝承する会」の岩佐保彦会長が藤江親子の功績を歌い込んだ「旧ばんば音頭」を披露し、盛んな拍手を浴びた。

◆8先賢しのぶ供養祭−出北観音堂

 出北観音堂に祭られているのは監物と喜多右衛門のほか、矢野喜左衛門(江戸中期に恒富用水路などを開削)、富山鹿之助(同時期に大貫用水路を開削)、富山喜三郎(同)、飯田直三郎(明治初期に沖田用水を開削)、日吉幾治(元恒富村長、恒富用水と出北用水を統合)、甲斐奎太郎(元県議と元南方村長、岩熊井堰を改修)の6先賢。

 供養祭には地元農業関係者のほか、行政やJAなどから約50人が出席し、昌竜寺の霊元住職と、本東寺(延岡市松山町)の吉田静正副住職が法要。
読経の声が響く中、原田理事長をはじめ先賢の子孫や関係者らが焼香し、遺徳に感謝をささげた。

 法要後、隣接する出北公民館で直会があり、原田理事長は「岩熊井堰が延岡の水田農業文化の発展の礎となって今があると言って良い。改めて偉大なる先賢に感謝の意を強くします。今後も感謝報恩の祭礼を続けたい」とあいさつ。

 子孫を代表し、甲斐奎太郎先賢の孫・甲斐晃一さんが謝辞。「私も昭和3年の岩熊井堰改修の年に生まれ、これまで20年ほど供養祭に出席させていただいています。毎年多くの関係者の皆さまにお祭りいただくことに感謝申し上げます」と述べた。

▽藤江監物と岩熊井堰

岩熊井堰の出北用水路は享保9(1724)年、五ケ瀬川から農業用水を引き「ひばりの巣」と呼ばれた荒れ地を、豊かな農地に変えるために開削が始まった。取水口から出北までは約12キロと長く、難工事だった。
しかし、完成を前にした享保16(1731)年3月、工事の指揮を執った家老・藤江監物と3人の息子は、政敵から公金横領の疑いを掛けられ、日之影町舟の尾の牢(ろう)に投獄された。8月1日に長男・図書がクスノキで作られた牢で獄死すると、監物も飲食を絶ち、同月26日に獄中で亡くなった。
しかし、藤江親子の亡き後も、郡奉行の江尻喜多右衛門が遺志を継いで工事を続行。着工から10年後の享保19(1734)年に完成した。藤江親子の死から3年後のことだった。
その後、藤江親子の功績は高く評価され、大正13(1924)年に名誉を回復。現在も監物の命日に当たる旧暦の8月18日に合わせ、延岡市土地改良区による慰霊法要が、日之影町の昌竜寺と延岡市の出北観音堂で行われている。