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延岡城の木型模型−福井県坂井市で発見
本紙掲載日:2017-09-14
1面

坂井市で見つかった延岡城の木製模型(木図)=坂井市教育委員会提供=

先祖が有馬家の家臣−提供者の家に

 福井県坂井市教育委員会は9月13日、同市内で延岡城の木製模型(木図)が見つかったと発表した。作られた時期など詳細については不明だが、城の構造がうかがえる木図が残っている例は全国的にみても少なく、同市教委丸岡城国宝化推進室は「貴重な発見といえる」としている。

 木図は横70センチ、奥行き40センチ、高さ20センチの大きさで、一つの木材から城郭の縄張りを削り出している。塀や櫓(やぐら)があったと思われる部分などには、丸い小さな穴などが確認できることから、塀や櫓が別の部材で作られ、配置されていた可能性もあるとされる。

 同市は現在、重要文化財の丸岡城天守の国宝化を進めており、市民に資料提供を呼び掛けたところ、8月上旬に市内の男性から連絡があった。男性は「有馬家とともに丸岡に来た先祖が延岡から持ってきたもので、兵の配置など軍学の練習に使われていたと聞いている」と話しているという。

 有馬家は1614(慶長19)年から1691(元禄4)年まで延岡藩主を務めた後、越後国糸魚川藩(新潟県)への移封を経て、1695(元禄8)年に丸岡藩に入封、明治維新を迎えている。延岡市教委に写真で確認を依頼したところ、「延岡城のものでまず間違いない」との回答と、江戸時代に書かれた延岡城の絵図などと異なる点などの指摘があった。

 こうした木図は、城郭の普請を行うために作製して幕府に提出したり、軍学の城取り練習などに利用するために作られたりしているという。国内では丸亀城(香川県)のものが知られる。延岡市教委では内藤家の旧領・磐城平城(福島県)の木図を所蔵している。

 延岡市教委文化課は、「実物を見ていないので現状では何とも言えないが、興味深い資料。作られた年代などを含めて今後の調査を期待し、注目したい。協力できることがあれば協力したい」。丸岡城国宝化推進室は「有馬家に関するこうした資料が残っていたことは驚き。まだ現存しているものがあるかもしれないので、引き続き資料の提供や情報を募りたい」としている。

 延岡市と坂井市は、延岡藩主だった有馬氏が丸岡城主になったことが縁で、丸岡城築城400年目の節目の昭和54年に姉妹都市を結び、交流を深めている。

◇延岡城
1587(天正15)年に豊前国香春(福岡県)から入封した高橋元種が、1601(慶長6)年から1603(同8)年にかけて築城した県内を代表する石垣づくりの近世城郭。高橋氏の後、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏がこの地を治め、明治維新を迎えた。
延岡城は現在、城山公園として市民の憩いの場として利用されているが、本丸北西面の高石垣(通称・千人殺し)などの城郭遺構を残す。近年は歴史・文化、観光資源として注目され、石垣を見せるための樹木の伐採や石垣自体の調査など整備が進んでいる。