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西南戦争−飫肥隊率いた小倉処平

本紙掲載日:2017-08-18
1面
小倉處平加療の地記念堂前で神事が営まれた
直会で泰平踊を披露する日南市泰平踊本町組保存会

北川で自刃して140年

◆川坂で集い日南からも参列、遺徳しのぶ−延岡

 西南戦争に薩軍の将として飫肥(おび)隊を率いて参戦し延岡市北川町で自決した小倉処平の「没後140年目の集い」が17日、同町川坂区の小倉処平加療の地記念堂で行われた。主催した小倉處平を語りつづける会(安藤重徳会長)や川坂区の人たち、処平の出身地である日南市の有志20人など総勢60人が出席して遺徳をしのんだ。

 同記念堂前では、同町長井神社の井本盛実禰宜(ねぎ)による神事が行われ、安藤会長や城下町飫肥まちづくり協議会の加藤正勝会長、杉本隆晴副市長ら出席者が次々に玉串をささげた。

 その後、川坂母子健康センターに会場を移し、直会(なおらい)を開いた。開宴に先だち、日南市泰平踊本町組保存会(益田一重会長)が江戸時代から伝わる郷土舞踊「泰平踊」を奉納した。

 安藤会長は、処平の顕彰活動を通して平成25年から日南市との交流が始まったことなどに触れ、「処平が一番喜んでいると思う。これからも情報を発信して互いに素晴らしい地域になればうれしい」とあいさつ。

 延岡観光協会の盛武一則副会長は、日南市飫肥出身で延岡市観光大使の盪街扱宮崎県在京経営者協会長と平成22年に出会い、意気投合したことで同記念堂を建立することになった経緯を伝え「飫肥との交流や式典などが行われるようになるなんて。感激しています」と喜んだ。

 加藤会長は、北川町には3度目の訪問であることを話し、「地域の方々が盛大に迎えてくださることに加え、処平への畏敬の念を強く感じる。心から敬意を表したい。今後も末永いお付き合いをお願いしたい」と話した。

 乾杯後は、川坂区婦人部有志による食事の接待を受けながら、両市の近況や処平の伝承活動について熱く語り合いながら楽しく交流。同婦人部によるやばんば踊りの披露もあり、大いににぎわった。

 処平は1846(弘化3)年、飫肥(現日南市)の生まれ。1864(元治元)年には飫肥藩の命で京都に行き、藩の外交活動を任された。その後、藩校「振徳堂」の句読師(くとうし、読み書きを教える人)となり、後の明治時代に外交官として活躍した小村寿太郎を指導するなど功績を残した。

 しかし、1877(明治10)年に西南戦争が勃発すると、飫肥隊を率いて参戦。同年8月に和田越の決戦で足を負傷し、北川町で自決した。32歳だった。

 北川町川坂区では、平成22年に盪害馗垢処平のゆかり地を巡るため延岡市を訪問。その際、処平を顕彰する北川町の人々に感動し、盛武副会長と意気投合。同25年12月3日、小倉が決戦で足に銃弾を受けて加療したとされる神田伊助さん方跡に記念堂を建立した。

 同年に発足された小倉處平を語りつづける会は、同26年に飫肥城下まつりパレードに初参加。翌年には同会が制作した処平像を携えて参加し、日南市民から大歓迎を受けた。8月18日には日南市での小倉處平記念碑の除幕式に招待されており、交流の輪が広まっている。

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