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アサヒビールがトップに

本紙掲載日:2017-07-22
8面
初代の愛飲推進室長の塩月さん(右)と川崎さん
鈴木康之さん
水永正憲さん
発刊された「アサヒビール愛飲推進室の記録」
高千穂往復で運行されたアサヒビール・ビアホール列車

「愛飲推進室の記録」を出版−旭化成OB

◆延岡から始まったシェア逆転−初代室長、塩月二男さんが執筆
 宮崎輝社長の号令一下−これぞ旭化成のDNA

 旭化成が社員の総力を挙げて「アサヒビールを飲みましょう」と猛烈なアサヒビール愛飲運動を展開した時代があった。運動は低迷していたアサヒビールのシェア拡大に火を付け、やがて業界トップに押し上げた。

 この運動は、旭化成自体の本来の事業活動ではなかったたため詳しい記録は残っていなかった。

 しかし、「この運動は難事業に果敢に取り組む旭化成の物語。記録として残し、後輩に伝えていくべき」という声に押されて当時、運動の最前線で取り組んだ初代のアサヒビール愛飲推進室長、塩月二男さん(88)が「アサヒビール愛飲推進室の記録」をまとめ、元旭化成延岡支社長の水永正憲さん(68)、旭化成からアサヒビールに出向して運動を遂行した川崎文夫さん(83)が編集に協力して冊子として発刊した。

◆旭化成が筆頭株主に

 昭和56年、旭化成は当時、業績が低迷し青息吐息だったアサヒビール(当時・朝日麦酒)の株式の10%を取得し筆頭株主になった。両社は業務提携し、旭化成は宮崎輝社長の陣頭指揮で全社を挙げてアサヒビール愛飲運動をスタートした。

 まず、最大の拠点、延岡市から展開しようと、八田義一宮崎総支社長をアサヒビール愛飲推進本部長、鈴木康之延岡支社次長を同委員長とし、実働部隊として「アサヒビール愛飲推進室」を設置。

 その初代室長に長浜地区事務課長だった塩月さんが抜てきされた。

◆宮崎輝社長がハッパ

 昭和56年当時のビールのシェアは全国でA社62%、B社20%、アサヒ10%、C社7%―と長年続くA社のガリバー型寡占状態だった。

 延岡市内はさらに差が大きく、A社70%に対してアサヒ10%と水をあけられていた。宮崎社長は「延岡市で2年内に30%を目指せ」とハッパをかけた。

 飲食店やスナックのママさん、各団体を招いたアサヒビール試飲会、アサヒビール工場見学会、あゆやなで仲居さんにアサヒビール手渡し作戦、高千穂線ビアホール列車運行、お中元・お歳暮、冠婚葬祭、地区行事などのアサヒビール指名運動などを次々に展開した。

 宮崎社長は、延岡の動きが気になり、海外の出張先からも「シェアはどうなった?」と聞いてきた。

 アサヒビールとの連携を強化し、酒類販売を円滑にするため川崎さんら3人は旭化成に籍を置いたままアサヒビールの社員に出向するという熱の入れようだった。

◆シェア10%が急上昇

 その結果、わずか2年後の昭和58年には延岡市内のシェアが31%に上昇して目標をクリア。トップだったA社は70%だったのが57%に落ち、追い上げムードに勢いがついた。ところがお酒の弱かった塩月さんは体調を崩しそうになって昭和59年、お酒の好きな草野太さんにバトンタッチ。

 2代目室長の草野さんも順調に伸ばし、就任3年目の昭和62年には、A社とアサヒがともに47%と肩を並べた。このビール業界の〃延岡異変〃はマスコミで話題になり、追い風に乗った。

 勢いを加速したのが、昭和62年に発売されたアサヒビールの「スーパードライ」。その人気でアサヒの右肩上がりはさらに続いた。

◆全国のシェアも逆転

 草野さんは平成3年まで8年間室長を務めた。その平成3年には、延岡市内でアサヒ62%、A社32%と2倍に逆転していた。宮崎県内でもアサヒ43%、A社45%と肉薄。平成4年に逆転した。全国でもA社49%、アサヒ24%と次第に追い上げていた。

 延岡市から始まった猛烈な愛飲運動でアサヒビールは元気づき、「スーパードライ」効果が加わって、ぐんぐん販売を伸ばし、平成10年に全国のシェアを逆転。誰もが予想しなかったトップに躍り上がった。

 着火点となった延岡の愛飲運動は「泥臭くはあるが野武士的正攻法。思いもつかぬ意表をついたやり方、当時のアサヒビールにはないバイタリティに満ちた活力あふれる進め方を評され、のちにアサヒビール側から『延岡方式』と呼ばれた」(本文から)

◆感謝のメッセージ

 塩月さんが平成11年に関連会社を退職した時には、アサヒビールから「お陰をもちまして宮崎市場は全国に先駆けてトップシェアとなり、今では70数%という高いシェアを頂戴する市場となりました。宮崎に習えとばかりに全国的に弊社は勢いをいただき、お陰をもちまして全国でもトップシェアを頂戴するまでになりました」「国内トップシェアを獲得させていただきましたが、その原動力は塩月様を中心としたアサヒビール愛飲推進運動のたまものと信じています」「今日のアサヒビールの輝かしい栄光があるのは、上昇の流れをつくっていただきました塩月初代室長のお力に負うところ大であり…」と丁重な感謝のメッセージがいくつも届いた。。

◆旭化成物語の一つ

 この本が出版されることになったきっかけは、昨年、塩月さんが当時の写真や資料をファイルした「アサヒビール愛飲推進活動の記録写真集」を手作りした。

 これを見た元愛飲推進本部委員長の鈴木康之さん(82)が「貴重な資料だから大事に活用したい」と、その活用方法を元旭化成延岡支社長の水永正憲さんに相談した。水永さんは、昭和56年当時、ベンベルグ工場勤労課係長で工場を挙げて愛飲運動に取り組んだ思い出がある。

 塩月さんが作ったファイルを見た水永さんは「当時のことがありありと思いだされ、これは旭化成の一つのDNAの形に違いない。悪戦苦闘しながら果敢に挑戦し続けた先輩たちの物語の一つとして若い人たちに伝えていくべき」(編集後記)と思い、出版に向けて編集に一肌脱いだ。

 そこで冊子出版の話がまとまり、塩月さんが著者、水永さん、川崎さんが編集協力者となって作業。発刊にこぎつけた。

 冊子には、運動の経緯、当時の写真、新聞記事、アサヒビールから塩月さん、川崎さんに贈られた感謝状などが掲載されている。鈴木さんは跋文を寄せている。

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