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苦難を乗り越え帰国−古舘豊さん解説

本紙掲載日:2017-06-30
7面

第14回平和祈念資料展の展示資料から(3)

◇袖と黒パンの交換

 今回の平和祈念資料展には、高知県出身の村田金悦さんがソ連軍から支給された日本製の防寒外套(がいとう)を展示しています。日本の関東軍が用いたもので、作業しやすいように両袖が取れるようになっています。

 それを着て村田さんはソ連の労働者と一緒に働いていたそうですが、彼らが持っている黒パンを食べたくてしょうがない。ジェスチャーで交渉した結果、外套の袖を黒パンと取り換えてくれるということになり、袖1枚と黒パン1個を交換しました。しばらくして、また食べたくなりもう一つの袖を黒パンと交換しました。

 その後は靴下など交換できるものは何でも交換したそうです。凍傷よりも飢えを何とかしなくてはいけないというように抑留者は追い詰められました。

 抑留者は、金属や作業中に拾った木材でスプーンを作り、それで飯ごう一杯のスープをすすりました。ですから、「これは自分の命を救ったスプーンだ」と帰国する時にほとんどの人が持ち帰っています。

 鹿児島出身の海江田英次さんが手作りした木のスプーンは、ヘラのような形をしています。飯ごうでお粥(かゆ)を煮詰めると底の方にカスが残ります。それをすくって食べるためのものです。

◇飢えの果てに

 関豊さんの絵「飢えの果て」は、抑留者の飢餓状態が頂点状態に達した状況を描いています。ソ連兵が監視の最中に食べた缶詰の空き缶をポーンと捨てる。その中にカスが残っています。それを日本人の抑留者が取り合いを始める。その様子を見た関さんは、この2人を恥だとか浅ましいとか全く思わず、できれば自分がそれを食べたいと空き缶だけをずっと見詰めていました。

 抑留1年目の冬は犠牲者の方が非常に多い。その冬は相当寒かったのですが、抑留者には寒さへの対応ができていませんでした。

 死亡者が出ると同じ抑留の仲間が埋葬しますが、土が凍っているので掘れない。ですから、ご遺体を埋める時には必ずたき火をして下の土を温めていた。それでもなかなか掘れなかったそうです。1メートルぐらいやっと掘って、そこにご遺体を入れて上に雪をかぶせる。その状況を描いたのが佐藤さんの「埋葬」です。

 当然のように亡くなった方の衣服などは全部剥がします。使える物は使うため自分たちがいただきます。ですから、抑留体験者は、戦友を亡くし、そして自分が生きるために彼らの物を取ってしまった意識が非常に強いです。

 宮崎県遺族連合会所蔵の田代香さん(宮崎市)が抑留中、秘かに記した備忘録も展示しています。この方は将校で将校用の収容所の中に入れられます。一般の兵士と違って規則は少し緩やかです。田代さんは、ドイツ軍から支給されたたばこの紙に抑留中のことを秘かに記録してます。

帰国の時、書いたものや印刷物は持ち出し禁止ですから、田代さんは防寒服の右の袖の折り目の中に隠して持ち帰りました。非常に珍しく、貴重な資料です。

◇日の丸に涙する

 ほとんどの抑留者は帰国前、シベリア各地からナホトカに行き、そこでもう一回チェックされます。「ちゃんと共産主義の教えを守れるか」「日本に帰ってもこのソ連の悪口を言わない」「ソ連軍は素晴らしい」というようなことを言って合格した者だけが検閲を受け、通過した人だけが帰国を許されます。

 吉田勇さんの「待望の乗船」は、日本に帰ってくる時の絵です。吉田さんは「船の日の丸を見た時に涙が出てしょうがなかった」と言っています。自分の名前が呼ばれて尋問を受け、OKとなった後、船のタラップを登りますが、できる限り早足で登りました。船の中に入ってしまえば、そこは日本領で、もう連れ戻されることはありません。駆け上がって船の中に飛び込んだそうです。



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