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内藤政挙公をしのぶ

本紙掲載日:2017-05-24
1面
城山公園本丸広場に立つ内藤政挙公の銅像

没後90周年・銅像建立100周年−延岡

◆200人参列し記念式典

 産業や教育の振興など延岡の発展に尽くし、〃延岡中興の父〃と慕われる延岡藩最後の藩主・内藤政挙(ないとう・まさたか)公の没後90周年と銅像建立100周年を記念する式典が23日、銅像の立つ延岡市の城山公園で開かれた。行政や議会、文化団体代表、市民など約200人が出席した。

 首藤正治市長や内田理佐市議会副議長、内藤家顕彰会の大崎清会長、藤蔭会副会長の小林千穂子さんと西田雪子さんが銅像に献花した後、首藤市長が「政挙公は、延岡の産業振興や教育などに尽力し、礎を築いていただき、市民にとって中興の父。末永く内藤家の顕彰活動を続けていきたい」とあいさつ。

 内田副議長は「内藤家から受けた恩に報いるため、議会としてもまちづくりに尽力しつつ、次世代に向け人材育成に努めたい」、大崎会長は「全国の約400人の内藤家顕彰会賛助会員が物心で会を支えてくれる。これも内藤家の遺徳のおかげ。市民一人一人が胸に刻み、内藤家の志を後世に語り継いでほしい」と語った。

 延岡市の「ヴォーチェ・のべおか」(今村愛子代表)の「五ケ瀬の流れに」と「ふるさと」のコーラスに合わせて、出席者全員で合唱。閉会後、出席者は献花台に花を供え、政挙公をしのんだ。

◆内藤政挙公の業績

市教育委員会文化課専門学芸員の増田豪さんは、「延岡の父内藤政挙公〜その業績と顕彰事業の歩み〜」をテーマに講話を行い、延陵社学(後の亮天社)の創立など教育の振興や、日平銅山の経営や延岡電気所の開業など産業の振興の業績などに尽くした実績などについて説明。
 
 また、明治4年の廃藩置県で東京に転居することになったが、同20年に大名の旧封土への帰還が許され、同23年、政府に延岡への転居を願い出た「貫属替願」の一節を紹介し、「延岡の発展のために尽くすという強い決意がにじんでいると思われる」と述べた。

【内藤政挙公】
1850(嘉永3)年5月10日、掛川藩主・太田資始の子、寛次郎として江戸駒込に誕生。1860(万延元)年に内藤家15代当主・政義公の養子となり、同年に政挙と命名、1862(文久2)年に政義公が隠居したことに伴い、家督を相続し16代藩主となった。
明治4(1871)年の廃藩置県で東京に転居するが、同6(1873)年に延陵社学(後の亮天社)を創立。同23(1890)年に延岡に転居してからは、日平銅山の開発や延岡電気所の開業など延岡の産業振興に力を注ぎ、昭和2(1927)年5月23日、77歳で亡くなった。
城山の銅像は、大正6(1917)年11月3日、初代銅像(高さ8・5メートル)の除幕式が行われた。昭和に入ると、戦局悪化に伴う金属回収により、昭和18年ごろ銅像を国に供出したが、戦時の同19(1944)年1月1日に原型をかたどったセメント像を製作。その後、銅像が再建され同60(1985)年11月25日に建立式典が行わた。


式典には約200人の市民らが出席し、遺徳をしのんだ

銅像前に花を供える市民
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