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還暦を迎えた弘法大師銅像

本紙掲載日:2017-04-12
3面
昭和32年4月18日、今山での大師銅像開眼大法要。今より狭い広場に大勢の人が参列し祝った(写真はいずれも記念誌より)
今山大師銅像建立奉賛会役員の皆さん。中央の法衣姿が野中豪雄住職
昭和32年3月13日、延岡駅に到着した銅像はトラックで今山へ。市民らが御詠歌で出迎えた
分割した銅像を台座に引き上げる作業の様子(福原石材提供)

昭和32年4月、開眼大法要−市民が盛大に奉賛祝賀行事

 優しいまなざしで延岡の街並みを見守るお大師さん。高さ10メートル、地面からだと17メートル。銅像としては日本一の弘法大師銅像だ。その開眼大法要が行われたのは昭和32年4月18日。それから60年。お大師さんは〃還暦〃を迎える。開眼大法要の日、延岡市民は奉賛祝賀行事を大々的に行い完成を喜んだ。建立奉賛会がこの日を記念してまとめた建立誌で当時を振り返る。

 今山大師銅像広場の開眼式当日の様子について、記念誌はこう記している。

 「赤や青の奉納のぼりがはためき、四斗樽(だる)の奉献酒で飾られ、定刻の午後1時、今山大師住職野中豪雄を導師として延岡市内外五十カ寺住職の随行奉仕で開式した」

 直後に代表の2人が綱を引くと、大師像の頭部を覆っていた白い布が下がり、高さ10メートルの銅像が姿を現した。「すると周囲にいた善男善女から南無大師遍照金剛」の念仏が湧き起こったという。

 銅像の開眼を喜び今山では、「宝物展、全九州仏教徒大会、演芸大会、御詠歌大会、殉国英霊大法要が営まれ、さらに市民による奉賛祝賀行事として、ちょうちん行列、琉球舞踊、人形芝居、見立細工、ミス産業二十人、広告カーニバル約五十団体の市中行進、ラジオ宮崎主催の『歌の縁結び』の放送などが行われ、街は二十数万人の人出でごった返しさすがに九州三大祭りの一つと言われるにふさわしいにぎわいを呈した」。

 今山大師では諸願成就護摩供養法要、平和を祈願し、イベントで市内のにぎわいを演出し楽しむ−。今に続く「やま」と「まち」が銅像の下に一体となる新しいまつりの形がここから始まったようだ。

◇世界平和を祈念、終戦の年に発願−今山大師・当時の野中豪雄住職

 大師銅像建立は昭和20年、当時の住職だった豪雄氏による発願だった。豪雄氏が書いた「刊行のことば」によると、「思えば終戦の年、平和祈願と大師の御高徳報謝のため大師尊像の建立を発願した」という。

 延岡の中心部は昭和20年6月29日の大空襲のため、ほとんどが焼け野原になった。戦争の痛手から物心両面とも立ち直る決意表明が必要と豪雄氏は考えたのだろう。ところが、建立には費用1700万円が必要だった。このため、豪雄氏に「同意する檀信徒(だんしんと)は当時、誰もいなかった」という。

 記念誌に掲載されている日向日々新聞の記事(昭和32年4月12日付)にそのいきさつが記されている。

 「それでも野中師は初志をまげず熱心に企画を進め、ついに檀信徒たちも協力、昭和30年末に建立奉賛会をつくり、31年5月に地鎮祭を行い、工費のうち700万円を大口寄付、1000万円を一口100円の十万人講の募金運動に着手」。発願から、つまり終戦から10年がたって実際に事業がスタートした。

 弘法大師銅像は京都平安美術鋳造所による鋳造で、原型制作者は仏師の吉川雅充氏と専門家が担当した。31年10月に原型が完成、32年2月には鋳造が終了。重さ3千貫(約11トン)の銅像をいくつかのパーツに分け、かさと錫杖(しゃくじょう)も別々にして貨物列車で延岡に運んだ。到着したのは32年3月12日、4月17日に工事は完了している。


◇今山は千年の昔から霊場−今山大師御本尊−天保年間に高野山より勧請

 豪雄氏は記念誌で今山の歴史にも触れている。それによると、今山は「もと蓬山善竜寺といい、千余年前からの霊場」だった。今山大師については、「(天保10〈1839〉年ごろ)延岡城下の信徒の心からの発願で高野山金剛峯寺より御尊像を勧請し建立したものであります」。以来、「今山大師本堂を新築した昭和6年から旧3月21日の弘法大師の命日大法要は延岡最大の行事として多数の参拝者が続いた」などと記している。

建立までの経過
[昭和31年]
1月12日建立奉賛会設立会長に松井福松氏就任▽5月3日起工式▽6月9日銅像鋳造委員に井上伊勢松氏ほか15人を委嘱▽12月3日台座(会館)建設着工式

[昭和32年]
3月13日銅像が延岡駅着、役員および御詠歌団出迎えの上、今山へ運搬▽4月2日福原銀一氏指導により銅像台座へつり上げ組み立て▽4月17日第1期工事完了▽4月18日大師銅像開眼法要


◆皆さんに心から感謝−今山大師・野中玄雄住職

 お大師さんのお祭りを行っていくということが私に与えられた役目だと感じています。建立から60年を迎え、改めて気持ちを引き締め、皆さんと互いに協力し、このお祭りを未来永劫、続けていかなくてはいけないと改めて感じています。

 銅像は関わった方々のお接待の精神の下に建立され、大変なご苦労も伴ったと思います。そして戦後復興。戦後70年。延岡が立派なまちとして築かれてきたことは大変ありがたいことであり、銅像建立に関わった方々、お祭りを支えてくださった皆さんに心から感謝をしたい。

 この感謝をまた次の世代に伝えるべく、お大師さんの祭りがいいお祭りとして、お接待の祭りとして、連綿と継承されていくように、精進していかなくてはいけないと考えています。




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