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「鹿川越」の再生を

本紙掲載日:2017-02-06
8面

北川町祝子川―北方町上鹿川

◆西郷さんも歩いた古道−延岡

 大崩山(標高1644メートル)の南麓を越え、延岡市北川町祝子川と北方町上鹿川を結ぶ古い道がある。明治10(1877)年の西南戦争で薩軍の敗走路となった「鹿川越」だ。今では人の往来が途絶えた古道を再生し、地域活性化につなげようと取り組む地元のNPO法人などが先日、この道を歩いた。記者も同行した。

◆3月19日、NPO法人などがイベント計画

 参加したのは、森林保全活動などを通して里山づくりを進めるフォレスト・マントル上鹿川(戸眄誼鵬馗后法■裡丕亘/洋せ海諒襪蕕靴鯔造芦顱弊承子理事長)と同ひむか感動体験ワールド(高橋勝栄理事長)などの10人。3月19日に鹿川越を歩くイベントを計画しており、ルートの下見や整備を兼ねて祝子川側から歩いた。

 鹿川越は標高約1100メートル。大崩山から鬼の目山(標高1491メートル)にのびる尾根のくぼみにあたり、延岡市と合併するまで旧北方、北川町境だった。

 西南戦争に詳しい香春建一氏の著書「西郷臨末記」によると、可愛岳の囲みを突破した西郷隆盛らの薩軍は上祝子の水流(つる)に宿陣。翌日、鹿川越を抜けて上鹿川に達した。香春氏が鹿川越を踏査した昭和10年当時は通る人もほとんどなく、道をふさぐ倒木をまたいだり、はってくぐり抜けるほどだったという。

 地元の人によると、住民が往来したのは、一帯で植林が盛んに行われた戦後と見られている。祝子川と上鹿川地区の交流も深まり、「嫁入り道具のたんすを背負って歩いた」という話も残るほど両地区にとって欠かせない道となった。

 上祝子で民宿「大崩の茶屋」を営む石本烈子さん(64)は上鹿川出身。小学生のころ、鹿川越を通って上祝子に住む親戚を訪ねたという。「片道3〜4時間。スズタケが生い茂り、道は今よりはっきりしていた。それほど怖くはなく、迷いもしなかった」と振り返る。

 道路の整備が進むにつれて鹿川越を通る人は減り続け、昭和40年代を過ぎて往来が途絶えた。石本さんによると、現在はたまに西南戦争の調査に訪れる人がいるぐらいで、峠を越えて行き交う人の姿はなくなったという。

◆大崩山の雄大な岩峰群−クマタカ舞いケヤキの大木も

 古道の下見・整備に参加した人たちは、上祝子から旧林道沿いにルートを取り、薩軍がたどったと見られる「山手谷」を目指した。

 冬晴れの日が差し込む旧林道は、落ち葉や枯れ枝がクッションとなり歩きやすい。谷を巻いて登るルートは比較的傾斜も緩く、木々の隙間から見え隠れする大崩山の雄大な岩峰群に気持ちも高ぶる。

 山手谷の「左俣(また)」と呼ばれる沢に着く。岩がごろごろした細い流れは祝子川まで続いている。傾斜は急だが、麓から最短のルートといえる。頭上には抜けるような青空。はるか上空を絶滅危惧種のクマタカが悠々と飛んでいた。

 峠の手前に樹齢数百年はありそうなケヤキの大木があった。道の目印のように真っすぐ、堂々と立っている。西南戦争から140年。「西郷さんもこの木を見上げたに違いない」。参加者からそんな声が聞かれた。

 上鹿川側の下りは傾斜が緩く、道もはっきりとして歩きやすい。上鹿川で農林業を営む西本正秀さん(66)によると、以前は道の両脇にスズタケが密生していたが、この10年ほどですっかりなくなったという。

 上祝子から上鹿川の林道間は3・5キロ、約2時間半の行程だった。旧林道はところどころに崩れて危険な場所もあったが、今後、迂回(うかい)ルートを探すなど整備を進めるという。

◆「天の古道につなげたい」

 薩軍が通ったといわれる県北の古道のうち、日之影町見立と高千穂町岩戸を結ぶ約11キロは「天の古道」として整備されている。里山の暮らしを紡ぐ会の西理事長は「古道の再生は、祖母・傾・大崩山系ユネスコエコパークの推進や歴史の掘り起こしにつながる。鹿川越や上鹿川から日之影町に抜ける古道を整備し、天の古道につなげたい」。

 フォレスト・マントル上鹿川の新本比佐良副会長(65)は「古道沿いは景色もよく、大崩山に登れない冬の間に楽しめるルートになるのではないか」と話していた。

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 西郷隆盛を主人公としたNHKの大河ドラマ「西郷どん」は平成30年の放送が予定されている。

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