【お知らせとおことわり】

 夕刊デイリー新聞ならびにYUKAN-DAILY-WEBを
ご利用いただきありがとうございます。

 著作権保護のためWEBブラウザ上からの記事・写真の
ダイレクトプリントができないようになっております。
ご了承下さい。

 サイト内の写真は本紙に掲載されたものですが
本紙掲載分の写真については以下のような規定があります。


 夕刊デイリー新聞社は、本紙に掲載された写真の提供サービス(有料)をしています。

 スポーツで活躍した場面の写真、ステージでの発表会、さまざまな行事で新聞に掲載された写真をご家族の記念に保存されてはいかがですか?

 写真は本紙記者がデジタルカメラで撮影したもので、新聞紙上では白黒でも提供写真はカラープリントです。

写真のサイズと料金は次の通りです。

▽L  サイズ 1枚 200円
▽LL サイズ 1枚 300円
▽A4 サイズ 1枚 800円
(A4サイズはラミネート加工もできます。ラミネート加工は200円追加)


L  サイズ
(8.9×12.7センチ)
1枚 200円
LL サイズ
(12.7×17.8センチ)
1枚 300円
A4 サイズ
(21×29.8センチ)
1枚 800円
(ラミネート加工は200円追加)

 提供できない写真もありますので、まず、本社にお電話をください。
 掲載日などをお聞きし写真を確認した上で準備します。

 受け渡しは、本社または支社、支局に来社していただくことになります。
 写真によっては提供サイズが限られる場合があります。
 また、事件、事故、災害、選挙、肖像権に関係する写真や本社に版権のない写真は提供できませんのでご了承ください。

 写真は個人的利用に限ります。 印刷物などに用いることはできません。

 写真提供サービス開始とともに、これまでの貸し出しサービスは終了します。


 お問い合わせ、お申し込みは
 本社(電話番号 0982-34・5000、平日は午前9時−午後5時、土曜は午前9時−午後3時)へお願いします。

 

笑顔、拍手心に残った−パレード

本紙掲載日:2016-09-17
3面
市民栄誉賞特別賞を受け会見する松田選手(手前)と久世コーチ

松田さん・久世さん一問一答

◆地元の応援が力に、本当にいい水泳人生・これから少しずつ恩返しを

 延岡市から市民栄誉賞特別賞を受けた松田丈志さんと久世由美子さんは、リオ五輪の感想や競泳人生を振り返り、今後について語った。(敬称略)


――パレードでの声援はどうでしたか。
【松田】改めて市民の皆さんの応援を感じました。子どもからご年配の方まで拍手、笑顔で手を振ってくれたシーンはすごく心に残った。メダルを取らなければこんなことはなかったと思うし、頑張ってよかったな、メダルという形で結果を残せてよかったと改めて思いました。

【久世】こんなに応援していただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。みんなが元気で明るい声で「久世さん頑張ったね」「丈志さんよかったね」などいろんな言葉を聞くことができた。こんな素晴らしいことはないなと思って車の中から見させてもらって手を振った。

−−リオ五輪のレースから1カ月がすぎました。
【松田】自分一人の力ではメダルを取ることはできませんでした。コーチや後輩たちも頑張ってくれ、たくさんの応援も力になって取れました。本当に感謝だと思っているし、奇跡に近い確率のものを取れたと思います。これから皆さんに少しずつ恩返しというか元気を届けたいと思っています。

【久世】結果が出てよかった。800メートルリレーは松田を出してみたいなと思っていた種目だし、半面、絶対結果を出さないといけないという思いがありました。

−−日本競泳界歴代最年長での出場でした。
【松田】最年長出場なので最年長のメダリスト。記録は抜かれるものなのでこれを超えていく選手が出てくるべきだとは思っていますけど、現時点では自分の中の一つの誇りです。

――初出場のアテネ五輪と違っていたのは。
【松田】アテネは丸坊主でしたし、12年前だから、長い時間がたったなと思います。世界の舞台をいろいろ経験したので、考え方は違うとは思いますが、選手としての気持ちは最後まで変わりませんでした。

【久世】アテネは何も分からず行きましたが、結果を出さないとこんなに居心地が悪い所かと思いました。北京では絶対メダルを取ろうと思いました。

−−引退を決めた瞬間はいつですか。
【松田】リオを目指すと決めた時点から東京五輪は厳しいのではないかという思いはありました。ここ数年練習はできても試合のパフォーマンスが上がってこないこともあり、引き際が近づいているとは感じていました。

−−競泳人生で一番つらかった時期は。
【松田】苦しみの種類はいろいろあります。スポンサーが決まらない時は自分はまだまだいけるのに応援してくださる所がなかなか見つからず、本当にやってていいのかなという苦しみもあった。ロンドンからリオは、応援してくださる体制はあっても、自分の体がやれるのかモチベーションをもう一度高めて、きつい練習を乗り越えていけるかという苦しみがありました。一番つらかったというのを決めるのは難しいですが、逆に言えばずっとつらかった。久世コーチの練習はいつでもきつかったから。

−−主要な大会前は必ず延岡で調整、ふるさとから出発しました。
【松田】やはり地元の皆さまの応援が自分たちの力になることが経験として分かっていたので続けてきました。逆に、今回一緒に練習してきた小堀、江原選手にもちゃんと自分のルーツだったり、ホームを大事にしろよと話してきました。

【久世】延岡を出たとき松田は18、19歳。地元に帰って応援されて温かい気持ちをもらって出て行った方が自分の力になると思います。小さいころから練習しているので、フォームや調子がおかしかったら景色が違うと思うし、そういった確認もできたらいいと思っていました。

−−地元の声援が力になっていたということですね。
【松田】地元の皆さまの応援、また、喜ぶ顔が見たい。喜んでもらいたい、という思いはモチベーションの一つでした。そのモチベーションがなければここまで長く続けてこられませんでした。延岡、宮崎の皆さんの応援が苦しい練習、きつい瞬間を乗り越えるエネルギーになったと思う。

−−最後のレースを終えて一週間。引退の実感は。
【松田】朝練の心配をしなくていいというのが違いますね。この1週間、いろいろなスケジュールをこなしましたが練習より疲れることはありません。

【久世】きつい練習メニューを考えなくていいので安堵(あんど)しています。いろんな行事をこなしていますが、ほっとしている方が大きいですね。結果を出すことができて、終われたのは、松田の人生、私の人生にも一番良かったんじゃないかと思います。

−−引き際としてはとてもよかったですね。
【松田】理想的というか、金メダルまでは届きませんでしたが、四つのメダルのそれぞれにストーリーがあり、思い出があります。本当にいい水泳人生を送れたとは思っている。

−−久世コーチを選び続けたことについて。
【久世】節目節目に「一緒にやります」と言われた時に沸き立つ気持ちもあった。葛藤はありましたが、長くやれてよかったと思います。家族や市民の応援がなかったらやれていません。4大会五輪出場して3大会でメダルを取って、そこで終わるのではなく、国体で日本のみんなの前で宮崎県のためにも県の代表として終われたらいいなと思っていたのでその通りになってよかった。息の長い選手に育ってくれ、夢をここまで持たせてくれたことは幸せでした。

−−今後は。
【松田】
五輪を4回経験した者として東京五輪が世界中の選手が見てもパーフェクトだと思える大会になるように僕ができることはしていきたい。長く水泳に携わって成長させてもらったので水泳界に恩返しをしていきたいですね。久世コーチと培ったものは、日本の水泳の強化に役立つ部分はあると思う。これからも組める部分では、久世コーチとタッグを組んで日本の水泳を強化していきたいと思います。自分も大学院での勉強が残っていますし、国際的な活動もしていきたいですね。拠点という意味では東京が増えるかもしれませんが、これまで通り宮崎にも頻繁に帰ってきたいですね。

【久世】日本代表の中で五輪に出て行く女性コーチはずっと1人。もう少し女性コーチが出てくるといいと思っています。(女性コーチの)指導にも力を入れていきたいと思います。10年後には宮崎国体がありますので、土台づくりはやっていこうと思っています。

−−東海中学校のプールの再整備について。
【松田】ありがたい話だとは思っていますが、自分たちのことだけじゃなく、県や市で水泳を頑張っている子どもたちも含め、どういう形がベストなのかと考えた方がいいし、僕たちも考えて意見を交換できたらと思います。松田丈志記念プールということよりも僕は現役選手を引退したわけですから、これからの子どもたちや活用される市民のために一番いい形でプールができ、そこで選手の強化もできたらベストだと思います。

【久世】改修して記念プールというのは、そこのいる人たちだけのこと。小さい子たちも年配の方もみんなが活用できて、松田丈志の記念プールで泳いだということを感じられる。そして強化が一緒にできるプールができたらいいと思います。

−−次の世代の子どもたちへ。
【松田】たくさんの可能性があります。国の宝ですね。可能性を広げ、夢を持たせてあげる活動は当然やっていけたら。水泳にこだわる必要はないと思っている一方で、水泳に育ててもらったので水泳の底辺を拡大していく活動も当然やっていきたいと思います。

【久世】もともと水泳人口を増やす、楽しさを分かってもらう、水難事故があったので泳げたら防げたんじゃないかということで始まったのが東海スイミングクラブ。それが何年かすると競技力向上もとやってきました。ですから、小さい子も年配の方もみんなスポーツを楽しんでもらえて、ゆくゆくは速くなる選手も育てたい。そうしてやってきたのが松田でした。そういうプールができたらいいと思います。

その他の記事/過去の記事
page-top