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延岡城、三階櫓跡を調査

本紙掲載日:2016-09-14
1面
三階櫓台南面の南張り出し部分南側を掘り下げた結果、約1・2メートル埋まった古い石垣が良好な状態で残り、最下端部の根石も確認された。

石垣下に古い石垣を確認−延岡市教委

 延岡市教育委員会文化課は13日、延岡城三階櫓(やぐら)跡の石垣の調査結果を発表した。三階櫓台を中心とした周囲11カ所でトレンチ(溝堀り)調査を行い、土に埋もれた部分の石垣の状態などを調べた結果、良好な保存状態の石垣が確認できたほか、現在の石垣の形状とは異なる古い石垣の存在を初めて確認した。

 延岡市は現在、三階櫓復元を視野に入れた城山再整備を進めている。今回の調査は、石垣を見せるなどして延岡城の景観向上につなげる「城山公園景観整備事業」の中で、石垣の保存状態などの把握と安定、安全性の確認をするため、依頼を受けた文化課が6月下旬から今月初旬にかけて調査していた。

 同課によると、古い石垣が確認できたのは櫓台北西角の石垣の下部。築城期までさかのぼるかは不明。1段から2段積み分ほどが残存しているが、櫓台北面西側角には古い石垣が確認できないため、櫓台の下に埋没している可能性が考えられる。現在の石垣は、古い石垣を基盤にして積み直したと判断されるという。

 また、櫓台南面の南張り出し部分南面は、掘り下げると約1・2メートル埋まった古い石垣が良好に残っており、現在の石垣は古い石垣を基に積み直したものとされる。石垣上部は凝灰岩、下部は砂岩と石の種類が違うほか、上部ほど加工した割石を築石として多用するなど新旧三層構造がみられ、改修の経緯を示す上で貴重とした。

 調査ではこのほか、石垣の最下端部の〃根石〃の状況について確認。根石の周囲に〃栗石〃と呼ばれる根固め石を配し、非常に強固な石積みが行われている。また、櫓台東面や北張り出し部分の東面の石垣下の大部分には、〃犬走り〃と呼ばれるスペースが確保されていることも確認されたという。

 調査結果については、城山公園城跡景観等有識者会議に反映され、同会議で三階櫓周辺の石垣を見せる上での木の剪定(せんてい)・伐採の量や優先順位などを検討。まとめた内容を提言書として市長に提案する予定としている。

          ◇          ◇

【延岡城の歴史】
天正15(1587)年に豊前国香春(福岡県)から入封した高橋元種が、慶長6(1601)年〜同8(1603)年にかけて築城し、松尾城から拠点を移転。その後、高橋氏の改易を受けて同19(1614)年に肥前国(長崎県)から有馬直純が入り3代にわたり治め、承応元(1652)年〜明暦元(1655)年に三階櫓、二階櫓、二階門櫓など大規模な城の整備・修復を行ったが、天和2(1682)年(天和3年説あり)の火災で三階櫓などを焼失。以後、三階櫓は再建されないまま三浦氏、牧野氏、内藤氏の治世を経て明治維新を迎えた。

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