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御陵が西郷さん守った−食事番の従軍記に記載、写しが北川に

本紙掲載日:2016-03-05
1面
西郷隆盛宿陣跡資料館のすぐ北側に御陵墓参考地がある(延岡市提供航空写真)
父親が西南戦争に従軍した時の格好を再現した生前の深江武夫さん(平成9年)
深江権太郎記の写し(児玉剛誠さん所蔵)
西郷隆盛宿陣跡資料館。裏山がニニギノミコト御陵墓(北川町俵野)

「可愛山稜の神様が薩軍を御救い下さった」

◆宿陣を置いた理由−延岡市「謎に触れた貴重な史料」

 西南戦争(明治10年)で西郷隆盛に随行した人物から聞き記した従軍記の写しが、延岡市北川町の民家に残っていたことが分かり、市が4日に記者発表した。

 従軍記には、和田越決戦の後に薩軍が同町俵野の児玉熊四郎邸(現西郷隆盛宿陣跡資料館)に大本営を置いた理由に、隣接するニニギノミコト御陵墓が関係していたことが記されており、市側は「これまで謎だった部分に触れた貴重な資料」と評価している。

 日記は、隆盛の食事番として従軍した鹿児島県旧川辺村(現南九州市)出身の深江熊助氏(昭和10年没、享年79歳)の見聞をまとめた「南州翁の足軽籠かつぎ飯炊き西南の役従軍深江権太郎記」。権太郎は熊助氏の幼名で、息子の武夫さん(平成21年没、享年101歳)が昭和51年に執筆した。

 熊助氏が西南戦争後、熊本鎮台に入隊した際に当時の十三連隊長に語った西南戦争での薩軍の様子、西郷隆盛やその側近たちと交わした言葉や思い出など、幼いころに父の膝の上で聞いたという話を便せん17枚にまとめたものだという。

 写しは、隆盛が和田越決戦前夜(8月13、14日)に宿泊した延岡市北川町長井の小野彦治邸(哲夫さん方)と、決戦後に宿陣した児玉邸(剛誠さん管理)で保管。武夫さんが平成9年に現地を訪問した際に贈っていた。

 市は注目すべき点として、「此処(ここ)で書き添えて置きたい事は可愛山稜(りょう)の神様が薩軍を御救い下さった所が多々有りました事は過言では無いと思います」という記述を紹介。

 和田越戦に敗れた後、薩軍は、三方を山に囲まれ逃げ場のないような児玉邸に大本営を置いたが、理由は分かっていない。さらに、官軍がこの3日間、なぜ大本営に砲撃しなかったのかも、西南戦争の〃謎〃とされていた。

 ニニギノミコト御陵墓について長年研究している杉本隆晴副市長はかねてから、児玉邸の裏山に御陵墓がある点に着目。「西郷隆盛は神武天皇の先祖、すなわち天皇家の祖の御陵墓に向けて政府軍が砲撃できないことを知った上で、ここに宿陣したのではないか」との仮説を立てていた。

 この説に関しては、隆盛のひ孫西郷鷲廚気鵝複毅院法畆児島市、西郷隆盛公奉賛会理事=も延岡市合併10周年記念式典(2月20日)での講演で、「小さいころから(杉本副市長の仮説と)同じ事を聞かされてきました」と話していた。

 記者会見に臨んだ宿陣跡資料館の児玉剛誠さんは、仮説の新たな裏付けとなった権太郎記の記述について、「資料館を訪れる人から『なぜこの場所に宿陣したのか』とたびたび尋ねられ答えられなかったが、これで納得ができた」と話した。

 杉本副市長も「宿陣の記述だけでなく、西郷さんの身近で見聞きした方の話は大変興味深く、資料としての価値も高いのではないか」と評価。市は今後、一般公開も検討するという。

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