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西郷隆盛ゆかりの地を訪問

本紙掲載日:2016-02-20
1面
西郷隆盛宿陣跡資料館で児玉さんの説明を聞く西郷鷲廚気

ひ孫の隆夫さん、宿陣跡など−延岡

 延岡市合併10周年記念式典の記念講演で招かれた、西郷隆盛のひ孫の西郷鷲廚気鵝複毅院法畆児島市、西郷隆盛公奉賛会理事=が19日、北川町の西郷隆盛宿陣跡資料館や無鹿町の和田越決戦場など西南戦争ゆかりの地を訪れ、曽祖父の面影をしのんだ。

 鷲廚気鵑呂泙此∋Х海大本営を置いた旧児玉熊四郎邸の同資料館を訪問。熊四郎のひ孫で資料館管理人の児玉剛誠さん(73)が案内した。

 その後、資料館に隣接する「ニニギノミコト御陵墓参考地」や、負傷した隆盛の長男菊次郎が身を寄せた「西郷菊次郎療養の地」(児玉惣四郎宅)、小倉處平加療の地、隆盛が和田越決戦前夜に宿泊した小野彦治宅などを訪ねた。

 隆盛の子孫が延岡を訪れるのは、鷲廚気鵑料追磴芭汗垢涼簔法虎太郎氏(平成9年没)が昭和42年に訪れて以来、約半世紀ぶりという。鷲廚気鵑蓮岷箍と薩摩は密接な関わりがあり、ぜひお礼が言いたかったし、どうしても見ておきたいと思っていたので、念願がかなった」と振り返った。

◆北川に大本営−御陵への砲撃ないと判断−
 延岡、子孫にとって興味深い地

 「西郷家では『延岡の方にはきちっとお礼をしなければ』といつも話していました」。西郷隆盛のひ孫に当たる西郷鷲廚気鵝複毅院砲蓮決戦の地への思いを語った。

 俵野の宿陣跡資料館では「西郷さん(隆盛)は勝てる戦いではないと知りながら、最後は義の戦いを貫き通したいと、ここで決断したのだと思います」と、祖先を振り返った。

 資料館に並ぶ、木銃や砲弾などの遺物を見て、「住民の方の鍋釜を奪う形でこしらえたのでしょう。西郷札まで造っていただいて…」。また、「戦いに関わり命を落とした方、斬首になった方、流れ弾に当たって亡くなった方もいらっしゃる」と、戦場となった延岡の人々を思いやった。

 その上で、負傷した兵を親身に看病したり、死者を手厚く葬った現地の人たちに感謝。和田越の敗戦後、この地を再び戦場としないこととした俵野での軍議に思いをはせた。

 三方を山に囲まれたこの地に大本営を置いた理由については、「諸説ありますが、天孫ニニギノミコトの御陵に向けて大砲を撃ち込むことはできなかったから、という話はずっと聞かされてきました」と説明。

 「西郷さんたちはここでしばし休息でき、武士らしく最後に気持ちを一つにできたのだと思います」と振り返った。

 一方、一枚の写真も残っていない隆盛の顔立ちについて、「自分(鷲廚気鵝砲呂茲似てると言われていました」。資料館にある肖像画は「特徴をとらえていて、そっくりだと思います」と話した。

 延岡の人に向けて、「ここは西南戦争の中で一番のターニングポイントであり、子孫にとってもとても興味深い所なので、さらに広く本当の史実を分かっていただければ」と話していた。



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