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延岡出身イラストレーター・安田善吉さんに聞く(2)

本紙掲載日:2016-01-16
7面
さまざまな映画スターの似顔絵

似顔絵は天職−半世紀にわたりタカラジェンヌを描く

◆宝塚スターが続々と豪華絢爛な時代

−−安田さんは、子どものころから舞台を見るのは好きだったんですか。

終戦直後、延岡小学校5年生ぐらいの時、古川町ではなかったかと思いますが、青年団が仮設の舞台をつくり、団員たちが女形になったりして歌謡ショーをやっていました。それを見に行くようになってから舞台に病みつきになりました。
紺屋町には銀福座という劇場がありました。れんが造りの倉庫が、昭和20年6月29日の延岡大空襲で外壁だけが残り、戦後、劇場になりました。暇さえあれば劇場裏の楽屋口に行き、舞台化粧をする役者さんたちをじろじろ眺めたりしていました。みんな野球とかやっているのに私だけ、あんな楽屋できょろきょろしているなんて、と思いますが、それがたまらなくうれしいという少年だったですね。
宮崎で公演があるというのを聞くと行っていました。もちろん延岡でもいろいろあって、昔は「実演」というのがあって、実際に美空ひばりが来たりとかしていました。レビューや演劇の情報が載っている芸能雑誌を買うのが楽しみでした。学校とか勉強とかには縁がなくて、そっちのことだけで頭がいっぱいでしたね。

−−東京の大学に行ってからは、さらにのめり込んだということですね。そのころから似顔絵は描いていたんですか。

学校にはほとんど行かず日劇や宝塚に通っていました。歌舞伎も新派も見ていましたね。劇場めぐりの日々でした。
大学は日本大学芸術学部の美術科に入ったんですが、周りに「すごい」と感じる人がいなくて…。それで美術科が嫌になって3、4年は社会学科に入って卒業しました。
イラストは大学1年生ぐらいの時から映画雑誌に投稿していました。そうしたらぽんぽん載って、投稿じゃなくて雑誌社の方から美空ひばりや石原裕次郎などを描いてくれと頼まれるようになりました。「別冊近代映画」の石原裕次郎特集には私の絵が結構載ってます。

−−宝塚歌劇の魅力に取りつかれたのもそのころですか。

1人の人が歌って踊って芝居する宝塚歌劇は僕にとって、たまらなく芸人というものを感じたんだと思います。今のミュージカルのはしりですよね。その三つそろっているというのが僕にとっては魅力的でした。
当時、宝塚は豪華絢爛(けんらん)でした。上月晃、甲にしき、古城都、真帆志ぶき、加茂さくら、八汐路まりなど大スターがいっぱいいました。彼女たちの素晴らしい舞台を見に月に何回も劇場に通っていましたね。お金がなかったから3階席なんですが、そこに座っているだけで幸せでしたね。
それで宝塚のスターたちも描いてみようと思って、宝塚歌劇が出している月刊誌の似顔絵コーナーにスターの似顔絵をはがきに描いて出しました。そして次の号の雑誌を見たら、偉い先生が書いているエッセーのカットとして私の絵が出たんですよ。それから編集部から私に連絡があって、「イラストをお願いできませんか」と言われた。それがきっかけですね。以来50年間欠かさず描いています。
(随時掲載)

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