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五ケ所から平和を祈る−高千穂

本紙掲載日:2015-08-31
1面
五ケ所平和祈念祭で地元の子供たちから折り鶴を受け取り、握手するケリー・メイヤーさん(手前)ら米国から参列した遺族
平和祈念碑に献花する徳文子さん

戦後70年、日米の遺族が参列

◆相次いで山中に墜落「隼」「B29」−搭乗員13人を悼む

 終戦前後、高千穂町内の山中に相次いで墜落、死亡した日米の戦闘機、爆撃機の搭乗員合わせて13人を慰霊する「五ケ所平和祈念祭」は8月29日、同町五ケ所の三秀台に建立されている平和祈念碑前で行われた。戦後70年の節目に20回目を迎えた今年の祈念祭には、平成7年に行われた平和祈念碑の除幕式以来、20年ぶりに日米の遺族が参列。異郷の地で命を落とした家族に祈りをささげ、平和を祈った。

 祈念祭に参列した遺族は、終戦前の昭和20年8月7日、夜間訓練飛行中に墜落した陸軍戦闘機「隼(はやぶさ)」を操縦していた故徳義仁軍曹=当時(21)=の妹吉松仁子さん(81)=横浜市=と徳文子さん(78)=東京都大田区=ら4人と、終戦後の同30日、福岡県の連合国捕虜収容所に救援物資を輸送中、墜落した米軍爆撃機「B29」に搭乗していた故アルフレッド・エイケン中尉=当時(23)=の妹ケリー・メイヤーさん(75)=米国・ミズーリ州=ら7人。

 あいにくの空模様の中で行われた式典には、遺族のほかに、祈念祭を主催する五ケ所平和祈念碑奉賛会(武田計助会長)の会員、在日米陸軍、自衛隊の関係者、地域の人たちら約170人が訪れた。

 武田会長は「日米の友好と恒久平和を祈り、前途ある日米の若者が不幸な戦争で命を落としたことを伝え続けていきたい」とあいさつ。墜落したB29の調査を続けている同奉賛会事務局の工藤寛さん(61)が遺族を紹介し、両国の国歌を斉唱した後、メイヤーさんと吉松さんが碑の鐘を鳴らし、正念寺(同町上野)の吉村順正住職、妻ヴィクトリアさんの読経が響く中、参列者が祭壇に献花した。

 内倉信吾町長、陸上自衛隊西部方面総監部(熊本市)の在日米陸軍連絡将校ジャックリン・ハーン少佐のあいさつ、田原小学校6年の吉村悠音君(12)による追悼作文の朗読に続き、出席した地元の子供たちが平和への願いを込めた折り鶴を遺族にプレゼントした。

 式典を終え、メイヤーさんは「祈念祭に参列できてうれしく思う。このような祈念祭が開かれていることに驚いているし、表現できないほど感動している」、吉松さんは「毎年、祈念祭を開催していただき、地元の皆さんには感謝しかない。祈念祭に参列して改めて平和への願いを強くした」と話していた。

 この日はまた、先月、不慮の事故で急逝した前会長甲斐秀國さん=享年(86)=の弟盛彦さん(76)=兵庫県伊丹市=が開会のあいさつを務めた。

 盛彦さんは、秀國さんが16歳の時にB29の搭乗員の遺体収容作業に当たったことを紹介。「異国の地で殉職した若者の姿に接し、戦争のむなしさや愚かさを刻み込んだことがこれまでの活動を支えてきたものと思います」と話し、「過去の悲惨な歴史の教訓に学び、子々孫々、二度と戦争を起こしてはならない。平和祈念碑の鐘を鳴らし続け、戦争で命を落とした多くの犠牲者の霊を慰め続けたい」と語った。

 武田会長(80)は「秀國さんも天国から祈念祭を見守ってくれただろう。秀國さんの思いを引き継ぎ、五ケ所の地から平和の尊さを訴え続けていきたい」と話していた。

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