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大空襲から78年

本紙掲載日:2023-06-29
1面

今山大師−殉難碑前で慰霊法要

◆犠牲者の冥福、世界平和願う・延岡

 1945(昭和20)年6月29日、延岡市の中心部を焼き尽くし多数の死者を出した延岡大空襲から78年が経過した29日、延岡市山下町の今山大師(野中玄雄住職)銅像広場に立つ延岡空襲殉難碑前で慰霊法要が営まれた。遺族や関係者、わか葉幼稚園の園児ら約40人が参列し、犠牲者の冥福と世界平和を願った。

 午前10時、城山の鐘の音に合わせて一斉に黙とう。野中住職が読経する中、参列者は殉難碑前の祭壇で焼香して静かに手を合わせ、園児は色紙で作った花を手向けた。読谷山洋司市長のあいさつを代読した山田隆則総務課長は「戦争の悲惨さとそこに尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぎ、平和を維持していくことは私たちに課せられた重大な責務です」と話し、み霊の冥福を祈った。

 参列した神田征子さん(78)=同市塩浜町=は、家の床下にあった防空壕(ごう)から外に避難しようとして、8歳の姉と5歳と3歳の兄2人を亡くした。まだ幼かった神田さんは母親がおんぶして避難し助かったという。神田さんは「尊い命を奪うのは一番の罪。戦争は絶対にしてはいけない」。空襲後に生まれた神田さんの弟の首藤純一さん(75)=同市大貫町=は「戦争は人間の殺し合い。戦争がなくなり、毎日を笑って過ごせる社会になってほしい」と話した。

 延岡大空襲は6月29日未明、飛来した117機の米軍爆撃機B29が焼夷(しょうい)弾を投下。市の中心部が瞬く間に火の海となり、恒富、岡富地区の一部が焦土と化した。市史によると、即死者130人、行方不明者8人、被災戸数3765戸、被災者1万5232人。焼失施設は市庁舎、郵便局、学校、寺社などが記録されている。

 殉難碑は、延岡市議だった市山幸作さんらが中心となって準備し、78年6月29日に建立。碑には、「劫火(ごうか)の中を市民は阿鼻(あび)叫喚辛うじて五ケ瀬大瀬河原に避難したが、まさに戦争が生んだ悲劇であった。恐怖の一夜が明けると市街地の大半は一木も残さず焼きつくされ、一望焦土と化しているのを市民は茫然(ぼうぜん)と眺めながら肉親をもとめて右往左往するのみであった」と記されている。

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